庭40周年

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庭誌最新号が届きました。
創刊40周年とのことで、誠におめでとうございます。

今号で大きな関心を持って読んだのは、「庭園専門誌の歴史を紐解く 『庭』誌40余年、見返りの景」という、前編集長の豊藏均氏へのインタビュー記事。
私が「庭」の購読を始めたのは平成元年の67号(福岡住まいの庭)からですが、平成元年からということは、28年間読んできたということになります。
様々な雑誌がある中で、こんなに長く読んできたのはこの本だけ。
昭和から平成に変わる頃に帰郷、田舎はとても情報が届きにくくて、全国の庭や今の造園事情を知れる唯一の情報誌が『庭』でした。
雲上人がつくる庭に嘆息を漏らしながら、いつかこんな庭をつくれるようになりたいものだと、憧れのまなざしを向けていた本。
気が付けば、いつも手の届く場所にあり、思い出したようにいつかの記事を読み返したり、仕事のプレゼンに持って行ったり、公共造園の特集などは役所に持参して見てもらったりなど、公私ともにお世話になってきたありがたい本でもあります。

そんな『庭』に初めて取り上げていただいたのが、「作庭者の十字路」という特集に書いた「庭鏡の中の自分」という記事  

秋田の庭はどうあるべきか、本当に施主のことを考えた庭とはどんな庭か、地元の街路樹はこれでいいのか、
「金になるのがいい仕事」という風潮の中で、自分は本質的な庭をつくっていきたいと葛藤し、模索していた頃に書いたものです。

そんな、田舎植木屋の小さな思いを拾ってくれたのが、庭編集部の豊藏さんでした。
これが、自分が変わる契機になったのだから、庭誌や豊藏さんには感謝してもしきれません。
全国の若手に意識改革の契機を提供し、頑張る人に機会を与え続けてきたこと、今の庭誌があるのは、専門誌として、次代の造園人の育成をしてきたことに尽きるでしょう。

インタビューの中には、カメラマンの信原氏との思い出も出てきますが、「こんな庭を撮らせるのか!」と、カメラを出さなかったこともあったとか。
信原さんには庭183号に掲載いただいた際に撮影いただきましたが、このくだりを読み、「カメラを出してもらえてよかった~!」と、撮影時を思い起こして安堵、妥協しないプロ意識の高さに接することができたのはとても幸せなことでした。

雲や風の動きを読みつつ、1時間でも2時間でもシャッターチャンスを待ち続け、ここだという時を逃さずに撮る。
そんな撮影を目の当たりにし、まるでゴルゴ13のようだなと、ひそかに「ゴルゴ信原さん」と呼んでいたほどです^^。

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    撮影中の信原さん

思えば、下見の際の挨拶で、「これで掲載が決まりというわけじゃない。『庭』は作庭者の人間性も審査する。」との言葉に、自分が試されていることを感じ、とても緊張したことを覚えています。
記事には、豊藏さんの前の編集長だった龍居竹之介氏の『庭は人がつくる』という言葉が出てきますが、人がつくるからこそ、つくったものには作り手の人間性が現れるということでしょう。
一般的に、雑誌のカメラマンは、編集者や作り手の指示で撮るものだと思っていましたが、『庭』は違っていました。
その庭や庭の作り手が、『庭』が取り上げるに足るものかどうかの判断をカメラマンの目が担っていたことは大きな驚きで、編集部が、信原さんに全幅の信頼を寄せていたことがわかります。
信原さんから「来月撮影に行きます」と連絡をいただいた時は、嬉しさよりも安堵の方が大きくて、またまた緊張したことを思い出します。

実はこの時は、作りたての庭が一件あり、撮影までに支柱を外しておくように言われました。
その頃は、行政向けに支柱講習会を開くなど、支柱は目立たないように掛けるという自身のこだわりがとても強く、取り付け間もない支柱を外すことには抵抗もありました。
でも、誌面となった庭を見た時に、やはり外してよかったと思いました。

そして思ったのが、支柱が付いているということは樹木が自立できていないということで、まだ庭になっていないということ。
事実、撮影の翌年に、環境適応できずに枯れた木もあり、庭は、樹木が自立できて初めて自然遷移が起こり、庭が庭になっていくのだと、支柱を外すということから、そんなことに気付かせていただいたように思います。

庭園本などでは、ガッチリとした支柱がそのまま付けられた庭を普通に見かけますが、そうした庭は、作り立て感が目立ち過ぎ、支柱の存在が庭の雰囲気を硬くしてしまう。
幹の線や気勢を大事にする雑木の庭などは特に、支柱があることで景色を殺してしまいますが、そうしたことを作り手に忠告できるカメラマンの目とプロ意識こそ、『庭』という専門誌の格を上げ、写真の美しさと共に、他誌を寄せ付けないレベルの高さがあったと感じています。

豊藏さんは、『編集者は掲載した作庭者を守らなければならない』と信原さんから教えられたことも語っていますが、それを実感したのが、ブツ切りが横行していた頃の地元行政に、街路樹勉強会を企画して挑んだ時のこと。
会社の代表など一人もいない、20代30代の若手4人の手弁当で開いたあの勉強会。
地元の街路樹が変わるかどうかの大一番の時、そんなところに届いたのが、豊藏さんからの応援メッセージでした。
心細さと緊張で胸が張り裂けそうになる中、この一通の心遣いにどれだけ励まされ、勇気づけられたことか。

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取材で来られた時の豊藏さん

この、厳しくも温かった豊藏・信原コンビの『庭』がもう見られないのは寂しい限りですが、この土台があるからこそ、新生庭誌の今がある。
本当に、『庭』からはいろんなことを学ばせていただきました。
せめてもの恩返しは、購読を継続することと、多方面にこの本の素晴らしさを伝えること。
そしてなによりも、自身が志を高く持ち、これまで以上に、いい仕事や活動を続けていくことでしょうか。

『庭』40周年にあたり、今後のさらなる発展を祈るとともに、ここに、万感の思いを込めて、感謝の気持ちを記しておきたいと思います。

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