杜の木漏れ日

ARTICLE PAGE

紺屋の白袴(庭屋の庭)

「紺屋の白袴」 :他人のためにばかり働いて、自分のことに手が回らないこと。

そういえば、庭屋である自分もまた、人様の庭をつくるばかりで、自分の庭には手を付けられずにいた。
『みんなの庭』である街の木の見守りはしているが、我が家には見守る庭がなかった。
『公私混合の杜』を提唱しながら、「私」である自分の庭をつくっていなかった。

庭屋は仕事で庭をつくるけれど、つくった庭で暮らすのは、庭屋ではなくその家の家族。
庭で暮らす人は、日々、木々や草花と一緒にいるからこそ、芽吹きや開花、葉の色づきの変化に気付き、その命の営みに感動できる。
それに比べると、庭屋は、つくった時や手入れの時の一瞬しか庭にいない。
その程度の接し方で、庭の本当の姿や喜びを知っていると言えるのか。
そんな思いが、常々あった。

木草と長く過ごすことが庭ならば、植木畑でもこと足りる。
しかし、植木畑は仕事場であり、庭では無い。
庭は、家ありてこそ。
そして、家に人がいてこその庭。
家に庭があり、家族と緑の潤いを体感できるから、『家庭』と言うのだろう。
庭屋として、もっと庭の素晴らしさを知るために、家族と本当の家庭を築くために、自分の家に庭をつくろう。
そんな思いで、ヒマヒマにいじってきた我が家の庭が、ようやく形になった。

自邸の庭

自邸の庭 (2)

自邸の庭 (3)

自邸の庭 (4)

家庭に求められるのは、レストランではなく家庭の味。
家庭の味と言えば「おふくろの味」で、我が家の味を作るのは家内。
ということは、この庭は、我が家の味の元でもある妻への贈り物ということになる。

時々、仕事でも、「家内への感謝の印として庭をプレゼントしたい」という、素敵なご依頼をいただくことがある。
見習わねば! いつか自分も! と思いつつ、気が付けば、いつものように「紺屋の白袴」。
ということで、白袴はこれで卒業。
家族と庭を楽しみ、その楽しさと感動を、みなさんの庭に還元していこう。

自邸の庭 (5)

ということで、早速、家族が庭を見に来てくれたようです。

Comments 0

Leave a reply