杜の木漏れ日

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忘れる人

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寄る年波の老眼に慣れず、眼鏡を掛けて字を書くことがとても大儀。
というよりも、外した後にしばらく焦点が定まらないという現象にまだ慣れない。。
そんな状態なので、自筆で申請書類を書かなければならない時などは、最初の生年月日や年齢の所でつまづく。
生年月日が分かれば年は計算できるんだから、わざわざ書く必要も無いだろう。
などと、たった二文字を書けばいいだけのことに、文句を付けたくなるこの頃。

生年月日といえば、この年になると、自分の誕生日などはどうでもよくなっているから、その日が来ても忘れている。
だから、自分が今年何才なのかもだいたいのことしかわからない。
そんなわけで、こんな書類を書く時だけは仕方なく、自分の年を指折り数えている始末。
これを知人に話すと、「前の年に一個足せばいいだけでしょ」と言われるが、去年何才だったのかを知らないんだから話にならない。
そんな調子だから、せっかく指折り数えても、またすぐに忘れてしまう。

ただ、誕生日は、自分が生まれた日であるとともに、自分をこの世に出してくれた人の記念日でもある。
そのことへの感謝は大切だから、自分の年は覚えていなくても、その日に感謝の念を持つことだけは忘れずにいたいものだ。


◇ その、自分を産んでくれた人もまた、寄る年波に乗って、いろんなことを忘れるお年頃になった。
一日に何度も同じことを訊き、その都度説明をするけれど、すぐにまた忘れて、翌日も同じ話をする。
こちらは、一度の説明で終わった気になっているから、また同じことが始まるととても疲れる。
そしてそれがエンドレスに続くから、さすがに答える側も疲れ果て、話すのが面倒になる。
答える側にとっては何十回何百回目のことなんだけど、訊く側はそれを忘れているから、毎回が初めての質問。
だから、そこで面倒くさそうに受け答えをすると、そんな態度のことを気にかけて、自分は家族から嫌われているのではないかと思い込んでしまう。
ほとんどのことは忘れても、こんなマイナスのことだけは蓄積されるようだから、極力笑って冗談交じりに話すようにしている。
でも、こちらのネタの引出しが少ないから、それを考えることに疲れてしまう。
相手にとっては毎回が初めての質問なんだから同じ答えでいいんだけれど、同じことを言うと自分が疲れるから、違う答えを探してしまうのだ。

そんな自分も時々、家族から「その話、前にも聞いた」とよく言われる。
こんなふうに、自分も前に話したことを忘れて話せれば、毎回新鮮な気持ちで話すことができるのだろう。
「介護とは修行なり。」
とはよく聞くが、老眼だけに、この道で開眼するにはかなりの修業が必要だ。


 ◇いろんな記事を読むと、認知症の人は「過去と今の世界に住んでいる」という。
だから、今のこの時のことには対応できても、10分前の同じことを忘れている。
でも、「今」のことが「さっき」のことになると忘れてしまうが、これが昔のこととなると、昨日のことのように覚えている。
そんな世界の人と話をする時は、同じ世界に入っていかなければ話がかみ合わない。
これが他人であればわざわざ入っていく必要も無いが、家族だから向き合い、そこに寄り添わなければならない。

そこで、トイレの話。
足が少し悪いから、夜間用にポータブルトイレを部屋に置いている。
すると、人間は楽な方に足が向くもので、昼間でも、居間から近い自室のトイレに行ってしまう。
そんな時は、自室に行こうとする直前に、手すりにつかまると本当のトイレまで行けることを教える。
そして、その時は行くが、また忘れて、自室の方に這っていく。
どうやったら一人でトイレに行けるのか。
足が悪くても、歩かなければますます悪くなるから、できるだけ歩かせたい。
そこで考えて、自室の入り口にトイレの方向を示す張り紙をし、トイレまでの途中にも、同様の張り紙を付けた。
這って行くから、その目の高さに、案内看板を付けるという作戦。

そんなある日のこと、仕事から帰ると、トイレの方角から本人が歩いてきた。
その日はトイレのことを何も言っていないのに、自分の判断で行ったことに驚いた。
学習している。
いや、最近の出来事はインプットされないから、今の状況を自分で考え、目の前の張り紙に従うことを本能的に選んだのだろう。
近いトイレよりも、遠いトイレを選んだこと。
楽な方よりも、自力で歩く方を選んだこと。
過去ではなく、自分の足で未来を見ているようで嬉しかった。

人間は考える葦である。
記憶は忘れても、その時々に考える力は残っている。
それを、他力ではなく自力で行ったことに大きな価値がある。

介護だからといって、何でもかんでもしてあげると、それに頼って何もしなくなる。
そうなりかけていたこの頃、今回は、手助け無しで自分でできていた。
自分の足で立ち、自分の道を歩いていた。
さすがわが親だと感心した。

いつの日か、自分も親と同じ道をたどるだろう。
忘れる人になったとしても、わが道を行く人でありたい。