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街の緑1(勉強及び視察)

悲しいイチョウ

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先日、所用で能代市内に出かけた際、県道(中和通り)のイチョウがブツブツと切られていたのを見て驚きました。
4月後半から芽吹き始めた葉も、5月ともなればかなり出揃っていたことでしょうに、木にとっては大変災難なことです。

恥ずかしながら、3年前の合併まで隣町の町民だった私には、この通りが市道なのか県道なのかさえもわからなかったほどですが、仕事柄、通りの木がどうなっているかには目が行きます。
記憶にある限りでは、ここの街路樹はいつも、冬に剪定されていたように思いました。
枝の伸張状態から見ても、ここ2,3年は手が入れられていないようですが、それにしても今回は、随分と大きくやったものです。
市の管理の市道も同じような姿になっていますが、このような強い剪定をする時は、冬期を選んでやっているようです。


ここで少し、木の生理と剪定について話をすると、落葉樹の剪定は、通常、葉が落ちた後の冬に行います。
なぜ冬なのかというと、夏の活動期に太い所で切ったり大量の枝を切り落としたりすると、樹体へのダメージが大きく、木が衰弱してしまうからです。
木は、常緑樹も含めて、春の新芽を芽吹かせる時期に一番体力を消耗するのですが、新芽が成葉となる夏以降に盛んに光合成を行い、それによって得た栄養で体力を回復させ、成長を続けます。
体力の消耗が激しい時期に剪定すると、木は残った養分を使って新たな葉を芽吹かせますが、樹体の内部では、体力の低下に伴って免疫力も低下して、害虫や菌などの侵入を防ぐ力も弱まってしまいます。
人間が、疲れていたり体が弱っている時に病気にかかりやすいのと同じです。
切られて再び芽吹く様子を見て、木の生命力の強さを感じられる方もいると思いますが、実はこの時、木は大変な思いをしているのです。

こんなふうに、木は葉を開かせることに大きなエネルギーを使いますので、この時期の強剪定は木が疲れているところにダメ押しをしている、ということになります。
せっかく力を振り絞って葉を開かせたと思った矢先にほとんどの葉を切り取られて、また新たに芽を吹かせなければならないのかと思うと、木もガックリときていることでしょう。

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この県道にはイルミネーションの付いたイチョウと思われる擬木があるのですが、剪定された木を見ると、その擬木の高さや形に合わせて剪定されているようにも見えます。
イチョウが街路樹として使われる理由の一つには「公害に強く強剪定に耐える」ということがあるのですが、「耐える」ということは木に「強制的に我慢させる」ということで、「人と樹木との共生」では無く、樹木に無理やり強制を強いるやり方です。
このような切り方が木に与えるストレスやダメージは相当なものです。
人に人の都合があるように木にも木の都合がありますから、少しは木の都合に合わせた剪定を行ってあげたいものですね。

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写真は、昨夏に、この通りの街路樹を撮ったものですが、いい具合に枝葉も茂り、ほどよい木陰も出来ていました。

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剪定後の姿です。
通りには所々にベンチが併設されていますが、ベンチはちょうどイチョウの木陰が出来るところにあります。
街路樹は、日差しの強い夏、日傘の役目をしてくれます。
真夏になると、皆さん木の下に隠れると思いますが、広げた枝で出来る木陰の中は本当に涼しいですよね。
木は歩行者を強い日差しから守るばかりではなく、道路や周辺の温度も下げてくれるとてもありがたい生き物なのですが、こんな切り方をされてしまったら、しばらくの間、この街路に十分な木陰は出来ないでしょう。
以前、この木陰のベンチで休むおばあさんを見たことがあるのですが、今年の夏、このおばあさんが一息付ける場所は、この通りには無くなってしまいました。
 
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時期が良ければどんな風に切ってもいいかといえばそうではなくて、その木のもともとの樹形を活かした、落葉樹らしい柔らかな剪定をしてあげなければなりません。
写真は、今冬剪定された二ツ井の県道のケヤキですが、あまりに強く切られたために、中には枯れてしまった枝もあります。
今回の剪定は、歩道や車道側の枝を極力切り詰めて、葉張りの出た樹形を縦長にするような仕様だと思いますが、その仕様が求める樹冠からはみ出した枝は、小枝も残さずに、太い所で切られています。

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この通りは昨夏、こんな感じで、いい按配に木陰が出来ていました。
左側は、3年前の夏、同じように強く切られ、まだ枝が荒れていますが、強剪定された木が落ち着くまでは、数年を要します。
ここはかなり広い所ですので、それほど支障になるものもありません。
1本1本が美しいからこその統一美です。
無理やり同じ形に揃えて統一感を出すよりも、木は1本1本みな大きさも形も違うのだから、それぞれの木に合わせた優しい剪定をしてあげるべきです。
落葉樹は枝先のしなやかさが命なのですから、切り詰めたらケヤキらしさがなくなります。
ケヤキはケヤキらしく、ケヤキらしい自然な樹形にしてあげたほうが、ケヤキもケヤキらしく生きられるというものです。


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県道を曲がり、国道に出ると、国道のイチョウも同じような姿になっていました。
県ばかりではなく、国レベルの仕事でもこのような剪定になってしまうのかと思うと、本当に残念です。

この時、車に同乗していた小学生になったばかりの長女から、「お父さん、なぜこの木には腕が無いの?」と訊かれました。
絵本などではよく、大木の木の幹が人の顔のように描かれているものがありますが、小さな子供にとっての木は、顔や腕のある大きな生き物として映るようです。
この子には、そんなふうに、このイチョウの木の枝が腕に見えたのでしょうね。
このぐらいの年頃になると、木の葉が酸素を作り、それを人が吸って生きているということがわかる子もいます。
わが子からそんな質問を受けて、「なぜそんな、人や地球の役に立つ木をこんなふうに切るのか。」と訊かれているようで、返答に困りました。
このような子供の素朴な疑問に、大人はなんと答えればいいでしょう。
子供が納得できるように、ちゃんと答えてあげられる人はいるでしょうか。

美しい自然と共に、街の緑も次代の子供たちに残す大切なものです。
子供からこんなことを聞かれて、この記事を思い出しました(リオの伝説のスピーチ セバン・スズキhttp://nagararich.com/paradise/suzuki.html

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ここは昨年までこんな姿をしていました。
これまでの管理は、通行に支障となる下枝だけを払っていたようですので、とてもいい状態になっていたように思います。
電線もなく、歩道も広く、特に支障になる物も見当たりませんが、なぜこのような姿になってしまうのでしょう。
 
ここには擬木はありませんが、今度は、最近補植された小さなイチョウに合わせるように、極度の強剪定がされていました。
「極度の強剪定」と書くと、かなり強い剪定なんだなということはわかると思いますが、簡単に言うと、木の枝を太い所でブツブツと切るやり方なので、通称「ブツ切り」と呼ばれています。
工事の名称などには「整枝剪定」などと書かれているのではないかと思いますが、小枝も残さないやり方を「剪定」とは呼びたくありません。
剪定というよりは伐採に近いやり方なのですが、このやり方をすると、もう木は元の自然な姿に戻ることはできません。

昨年剪定されたイチョウ2(能代市)

         電柱のようなイチョウ (能代市)

春先の街路には、電柱のような形の街路樹をよく見かけますが、法令上、街路樹は電柱や信号、標識などと同じ、道路の付属物ということになっています。
物という扱いになると、生き物である木の生理成長や街路樹の効用効果は二の次にされてしまって、道路通行の安全や防災、落ち葉対策などのほうが優先されてしまうようです。

木は自然の状態では枝を横に伸ばしますが(シダレ性のものは除きます)、強剪定をされた木は、上に下に斜めにと、一斉に枝を出します。
なぜこのような枝の出し方をするのかというと、樹木は葉の光合成によって養分を体内に取り込んでいますから、これまで1000枚の葉が作る養分で生きていた木が、いきなり枝を根こそぎ切られて0枚になったらどうなるか、葉がなければ養分を作ることはできませんから、木は異常事態とばかりに眠っていた芽を吹かせ、生きるために、必死で葉を作ろうと頑張るのです。
この生きるか死ぬかの瀬戸際の時に、いい枝を出そうなんて悠長なことは言ってられませんから、幹のアチコチから一斉に芽を出させます。
その芽はやがて枝となりますが、人間と同じく、急成長した枝は芯が弱く、少しの風ですぐ折れます。

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   自然樹形のイチョウ(能代市)

真っ直ぐに外に向かって伸びる枝は、力も幹の芯からそのまま繋がっていますので、多少の風ではビクともしません。
それに対して、横に伸びた枝の途中で切られ、そこから直立する徒長枝は、幹から伝わる力が分散されるので弱いのです。
ブツ切りされた枝から出る枝は、ほとんどがこのような弱い枝です。
そして、急激に増えた枝の数だけ葉も増え、枝葉が混み合って日の光が内部に届かなくなると、枝はモヤシ状態になり、ますます枝の強度は弱くなります。

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     樹皮が再生してきている様子

また、木にはちゃんと切る位置というものがあり、それを無視して切り口を雑に切ったり、太い枝の途中で切ったりすると、そこから腐りが幹の内部まで入りこみます。
よく木の幹に穴が空いているのを見かけると思いますが、たいがいは雑な剪定によって腐りが入り込んだことが原因です。
切るべき所で切ってあげれば、切り口の周りの肉(カルス)が巻いてきて樹皮は再生し、幹は復元されます。
こんなふうに、安全のため、防災のためにと剪定をしているつもりが、逆に木を弱くし、倒木や枝折れの原因を作っていることもあるのです。
イチョウは防火樹とも言われますから、市内にイチョウが多いのは、これまで能代が何度も大火に見舞われたことも関係しているのかもしれませんね。
防災目的で植えられた木を、防災のために切っていると言うのが、今の剪定ということになるのでしょうか。

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自然樹形のイチョウ(左)とブツ切り数年後のイチョウ(右) (能代市日吉町)

街路樹剪定の一番の理由は落ち葉対策のようですが、落ち葉を無くすためにやる短絡的な強剪定は、逆に落ち葉を増やしてしまうという本末転倒な事態が起こります。
日吉町の市道には、同じ街路の両側に、自然樹形のイチョウと強剪定されて数年立ったイチョウが立ち並んでいますが、その枝葉の量を見比べてみると、一目瞭然でわかります。
木は、自然の状態でいると、自分の成長に必要な枝しか出さないのです。

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ブツ切りされたプラタナスなどは、1年で2mも枝を伸ばし、切る前よりも大きくなります。
そしてまた苦情が来てまた切るという悪循環が続き、そんなことに毎年予算が使われます。
木が枝をたくさん出し、急激に枝を伸ばすのは、人が下手に手を入れるからなのです。

コピー ~ IMGP1781

電線の所だけを剪定した公園のプラタナス

木を切るということは、木を傷つけるということです。
木は伸びたら切ればいいというものではなく、切らないということも管理のうちで、枝を切る必要があるのかどうか、どんな剪定をすべきかどうかの判断が出来るか出来ないかも、造園技術のうちの一つではないかと思います。
電線に触る所や人の歩行や車の通行に支障になる枝だけを切ればいい木もあるでしょうし、公園に隣接する所などは、公園の木と合わせて大きくしてもいいでしょうし、街路樹の目的に街並の景観作りも含まれるのならば、道路だけのことばかりではなく、周辺環境との調和も考えるべきなのではないかと思います。
暑い夏、日傘を差さずに、街路樹の木陰の中を歩いて公園まで行けたら、どれほど気持ちがいいでしょう。
単体の都市公園を作ることだけを考えるのではなくて、公園と公園を結ぶ街路のことも考えて、公園都市のような考え方で街づくりを行うことは出来ないでしょうか。

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   ケヤキ公園(能代市)

話を戻しますが、国には、緑陰道路プロジェクトhttp://www.mlit.go.jp/road/road/century/koubo.htmlという取り組み(枝葉を極力剪定せず、枝葉を広げた街路樹を有する緑陰道路を作る)があります。
街路に大きな樹木を自然な姿で存在させ、風格ある美しい街を創ろうとする取り組みで、国は全国にそのモデル地区を募集しているそうです。
能代にはケヤキ公園という(国道101号)、街路樹と公園が一体となったような素晴しい緑の景観がありますが、緑陰道路プロジェクトが求める姿とは、このような姿を言うのではないかと思います。
そのような政策を推し進める国の仕事で、なぜこのような美観を損なう剪定が行われてしまうのでしょうか。

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ブツ切り1年後のイチョウと自然樹形のイチョウ(左)    (能代市日吉町)

市内の街路樹は今、道路一つ違うと、同じ道路幅にある、同じ種類の、同じ大きさの樹木が、全く違う形をしています。
市道、県道、国道は、それぞれに管理者が違いますが、同じ市内にある繋がりのある空間なのですから、樹木管理の方針を統一するべきなのではないかと思います。
市や県の話を聞く限り、実際に3者が協議の場を持つことは無いようですが、3者の誰かがその必要性に気付き、呼びかけていくべきではないかと思います。

管理者同士の話し合いはもちろんですが、一番大切なのは、そこに暮らす市民の意志です。
街路樹の剪定は景観の維持というよりも、市民の苦情によって行われているのが現状のようですが、時々街中で剪定をしていて市民の方から言われることは「ぶった切ってくれ!」とか「坊主にしてくれ!」などという、乱暴な言葉が圧倒的に多いです。
そこに暮らす住民の方々の気持ちもわかるのですが、こんな言葉からもわかるように、街路樹はほとんど街の邪魔者のようです。
街を緑で美しくするということよりも先に、街路樹はこの街に必要なのかどうかという議論から始めなければならないのかもしれません。

この異様な光景を見て、このままでは、能代に木の形をした街路樹は1本もなくなるのではないか、能代の街路樹は壊滅するのではないかという危機感を持ちました。
能代に、本当の意味での緑の文化が根付く日は来るのでしょうか。

※全国には、埼玉県久喜市のように、街路樹に関する条例を定めている所もあります
http://www5a.biglobe.ne.jp/~wankichi/teisyutugian1/gairozyu.htm)。

白神山地ブナ林

           白神山地のブナ林

能代は、自他共に認める世界遺産白神山地の里ですが、その象徴ともいえるブナの木は、漢字で書くと「橅」と書きます。
「橅」という字を二つに分けると「木」と「無」。
木では無いと書きます。
「こんな木、何の役にも立たない。」と伐採され続けてきたブナが、実は人類や地球にとって大変な役を持つ、かけがえのない貴重な財産であることに気付き、世界遺産になったのが白神山地です。
能代はその白神山地のお膝元ですが、能代の街路樹が『木では無い』状態になっていることに気付く人は、本当に少ないです。
美しい街路樹や公園が世界遺産にでもなれば、もっと街の緑も大切に扱われるようになるのでしょうか。

この緑陰道路プロジェクトは、地域から国にモデル地区の申請をするものらしいのですが、そんな動きが出るぐらいに、能代ももっと緑を大切に思ってくれればと思うのは、私だけでしょうか。
能代市のスローガンは「水と緑の環境の街」。
今や能代の名勝となっている「ケヤキ公園」や「風の松原」、「黒松街道」ばかりが、能代の緑ではありません。
それを繋ぐ道の樹木もまた、かけがえのない緑なのです。
風の松原には、松くい虫の侵入を防ぐために巨額の予算がつぎ込まれ、ボランティアの方々の奉仕によって美しい姿が保たれていますが、街の緑はどうかというと、誰にも見向きもされず、虫ではなく、人為的に壊されているように思えてなりません。

自然との共生、樹木との共生という話はよく聞きますが、本来、人と樹木が共生するということは、芽吹いて花が咲き、実がなって葉が落ちるという、樹木の自然の営みをそのまま受け入れるということではないかと思います。
しかしながら、狭い街路に大きくなる樹木が植えられている所などではなかなかそうもいかなくて、人の暮らしと樹木の営みを調整するための方法が「剪定」ということになるのですが、その剪定にも程度があるということです。

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写真は、2年前に剪定した二ツ井の市日通りのイチョウです。
支障となる電線などはありませんので、芯を止めず、枝先を詰めず、懐の小枝と下枝を少し外しただけです。
今春も少し剪定しましたが、懐の幹吹きを2,3本外す程度で済みました。
あまり枝を減らしていないので不定芽もそれほど出ずに、ほどよい樹形と木陰を作れています。
一度に強く剪定するのではなく、その木に合ったやり方で、段階的な剪定を行うと、木に掛かるストレスも軽くなり、木も樹形を乱しません。


先日、ある法要のご住職の講話で、「百花春至誰為開(百花春至って誰が為に開く)という言葉を聞きました。
「春になって美しく咲き誇っているたくさんの花たちは、いったい誰の為に咲いているのだろうか。花たちはただ、自分の命を一生懸命生きているだけだ。」と言う意味なのだそうです。

これを「百樹春至誰為芽開」と置き換えてみたらどうでしょう。
木にも人と同じく感情があるという説がありますね。
樹木の芽は、ただひたすらに芽を出すだけですが、そんな木々たちにも「芽吹いてくれている」という優しい気持ちで接してあげられたら、街の木たちも喜ぶのではないでしょうか。
花は誰のために咲いているのでもないけれど、木は誰のために芽吹いて木陰を作ってくれるわけではないけれど、みんなのために咲き、芽吹いていてくれていると思えれば、心も豊かになります。

落ち葉が落ちたらお互い様、木陰で涼めたらお蔭様です。
街の木たちにも、そんな「おかげさまの心」で接してあげたいものですね。


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伸び伸びと枝を伸ばし、心地良い木陰を作るイチョウ並木(能代市)
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長文ご精読、ありがとうございました。
以下は関係記事のリンクです。

「残したい場所」http://www.shirakami.or.jp/~niwaya/essay-05.htm
「街路樹のその後とこれから」http://www.shirakami.or.jp/~niwaya/gairojyukongo.htm

※隔月刊誌「庭http://www.ksknet.co.jp/book/search_detail.asp?bc=05002181」では、全国の悲惨な街路樹の現状を憂い、「街路樹は泣いている」という特集を組んでいます。
この本は、能代市立図書館でも閲覧できます。
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2 Comments

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紅の葉  

2008-06-03 19:23

小梅さん、こんにちは。
ようこそいらっしゃいました。
読者の都合を考えず思い付きでどんどん書いちゃうので、皆さまには大変ご迷惑をお掛けてしております^^。

それにしても、よくこの記事にコメントをくださいました。
長すぎますよね(笑)。
一般の方が見てもわかりやすいようにと書いたら、こんなに長くなりました。
あんまり長いので、剪定の切り口の所なんか、小梅さんの所の「庭のあれこれ」にリンクしちゃおうかなと思いました。
最後まで読んでいただいて、本当にありがたいです。

それにしても、この問題は果てしないなと、やってもやってもキリがないなと思いました。
でも、誰かが言い続けないと変わりません。
ぶった切ってくれ!という人の声が目立ちますが、心の優しい方は、案外と声に出さないでいるのかもしれませんし、この光景がいいんだか悪いんだかわからないでいる方もいるかもしれません。
そんな方々のためにも、伝えることを続けてていきたいと思います。

植木屋は木を育て根付かせるのが仕事ですが、人の心に緑の大切さを植え付け、根付かせるのも仕事のうちですね。
さらに、頑張りたいと思います。

>「光と風が通るように透かして下さい」
今度、付け足させていただきます(笑)。

>パソコンをリニューアル
おめで・・・たいわけでもないんですね(笑)。
雨が降り続くことを祈、られても困るんですよね。
剪定も雨もPCも、ほどほどがよろしいようです。
ということで、オチです^^。

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小梅  

2008-06-03 15:15

矢継ぎ早の更新で、いったいどこにコメントを入れようか迷ってしまいます。
迷いながらこちらにコメント入れさせてもらいますね。
まずは、HPリニューアルおめでとうございます。
精力的な更新でさらにパワーアップの福岡造園にますます注目!です(^^)

街路樹問題、一足飛びには進みませんが、剪定し直したイチョウはいい感じになってきましたね。

>ぶった切ってくれ!
「そ、それだけは言わないで~(T_T)」度No.1の言葉ですよねぇ。
「落葉が出ないようにバッサリ切って」と言われると、
う~ん、バッサリ切るとますます葉っぱ出るんだけどなぁ、
だけどどうやって説明したものかなぁ、と考え込んでしまいます。
「バッサリ」の代わりに、「光と風が通るように透かして下さい」だといいんですけれど。


うちはパソコンをリニューアルしたら、色々と問題が発生して、アタマが痛いです。
雨が多い時期でよかった…

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