木陰と木漏れ日

手入れの下見で伺ったお宅は、エゴが花盛り。
エゴの他にも、ヤマボウシにシャラ、カエデにウメモドキと、こんなに雑木ばかりを植えた庭は、この辺りでは珍しい。
地面にはシダやギボウシ、ヤブコウジ・・・。
とにかく木陰がとても心地いい庭。
作ったのは自分ではないが、とても感じのいい庭だった。
仕事の下見だったのだけれど、今の状態があんまりいいので、無理して手を入れる必要は無いとお話しさせていただく。
山の木は山にあるように。山の木は山の木らしく。
出来れば切らない方がいい。
「切らないのもまた管理のうち。山野草のためにも、家で涼しく過ごせるためにも、もっと木を大きくして木陰を作りましょう。」とお話して帰ってきた。
切れば仕事になるが、切ると庭の雰囲気を壊す。
仕事にはならなかったけれど、いい庭を眺めさせていただいて満足。
最近意識するのが、「木陰のある庭づくり」。
田舎の庭は、木の形で見る庭が多いけれど、雑木を植えても芯を止め、形を整えたいと思う方が多いけれど、形よりも雰囲気や緑の効果を重視する庭があってもいい。
森の中に自然淘汰があるように、1本の木の中にも自然淘汰がある。
木の内部に日が入らなくなれば、懐の小枝や下枝は枯れていく。
状況が許すなら、そんな状態を予測して、いづれ枯れてしまう枝だけを外す剪定でもいい。

里山の林床(ツクバネソウやユキザサ、名も知らぬ山野草)
山に行けば、山の木の下、林床に育つのは山野草。
山野草の庭を求めるならば、そこには山の木と山の木の木陰が必要。
そして、樹冠から差し込む適度な木漏れ日がほしい。
木漏れ日の量が山野草の生育を左右するなら、光量を調節するための剪定も必要。
剪定は、美観を整えるためのものだと思われがちだが、光量を調節するという役目もあるのだ。
「日陰」と言うと、なんだかジメジメとして、あまりいいイメージはしないけれど、「木陰」と言うと、なんだか心が安らぐようで、ホッとする。
「日差し」というと暑そうだけれど、「木漏れ日」と言えば、木の葉がさらさらとそよ風に揺れていそうで、思わずうたた寝をしたくなるような安心感がある。
「日」や「陰」に「木」が付くと、こんなにもイメージが和らぐ。
エコが見直される昨今、秋田にも、木陰や木漏れ日を求める庭や剪定を依頼される日が、来るかもしれないな。
ということで、今日の一本^^。
