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戯言

守破離

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この間、ある会で、『守破離』という言葉を紹介しました。

型を守り、
型を破り、
型から離れる。

「型」は師匠の教えであり基本のことですが、基本(守)を学んだ後は他流からも学んで応用を試み(破)、その後は何ものにもとらわれず独自の世界を創造していくという境地。

日本の武道や芸道などの修行の段階を示すこの言葉、その元は、千利休の

「規矩作法(きくさほう)、守りつくして破るとも、離るるとても、本(もと)を忘るな。」

から来ていると言われています。

これを、自分の植木屋人生に当てはめてみると、
東京の親方に師事した修業時代が『守』、
帰郷後に各地の庭や自然を見て歩いたり、専門誌やいろんな名人から学んだことを庭づくりで試していた時代が『破』ということになるでしょうか。

では、忘れてはならない自分の本(もと)とは何か?
と考えて思いつく師匠の教えは、

『松は松らしく、モミジはモミジらしく』
『自然には法がある』

の2つ。
もっとたくさんあったはずですが、聞く側に相応の力がないと馬耳東風。
この2つは自分が質問した時の答えなので心に残っています。

『松は松らしく』は見習い1年目、『自然には法がある』は、『松は~』の答えを返した5年目ぐらいの時に言われたことで、その答えがわかるのにさらに5年ほどかかりました。
教えは、言われてすぐに理解できるものではなく、いろんなものを見て経験を積み、その中でようやく理解できてくるということでしょう。

実力よりちょっと高いレベルの話をすると、そこに向かって考え、物を見るようになる。
創造力がモノを言う庭づくりでは、『考える』ということが大切。
師匠はそんなことも教えてくれていたのかもしれないと、今さらながらに感謝しています。

さて、では、植木屋の本(もと)は何だと考えた時、木を植える人である植木屋の本はやはり、
『なぜ木を植えるのか。』
ということになるでしょう。

庭でも街でも、その本を忘れずにいたいと思うこの頃です。
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