相承
2019年12月23日

出入りさせていただいているお寺に暮れのご挨拶に伺うと、ご住職から会報をいただきました。
拝読すると、今年作らせていただいた庭のことが紹介されており、何とも有り難い限りです。
今春に行った作庭は、通路の両側にある鐘楼堂と六地蔵堂周りの整備。
記事では二つの建物に付随する庭は『向き合う』ことがテーマになっていて、
鐘楼堂の大鐘とその下にある達磨像が、対面する六地蔵堂のそばにある鐘型の水琴窟や達磨型の自然石と向き合い、六地蔵もまた、鐘楼堂下のお地蔵さんと呼応していることが記されています。

庭の入り口は凹凸のある山石の道になっていますが、それをご住職は「先祖が歩んだ苦難の道」と例えられ、「自分が歩むべき道を想起させる」ものとしています。
古来、お寺にお参りしていたであろう先祖代々と同様に、その子孫である今の自分も同じ場所で祈りや願いを捧げることは、過去と現在の家族を繋ぐ行いであり、そのような、『自分と先祖が向き合う場所がお寺』なのだということを述べられています。
この、 『繋ぐ』というキーワードは私が大切にしている理念でもあり、庭は建物や周囲を繋ぎ、人心や時代も繋ぐものだと考えています。
そうしたことを、お寺の庭づくりはもっと深く意識させてくれるものでした。

会報のタイトルは、『相承~師資相承・父子相承』。
『相承(そうじょう)』は禅宗のテーマであるとのこと、「親から子へ、師から弟子へと大切な思いを受け継ぐ」という意味があるそうですが、この庭で対面している達磨さん同士が「師弟の相承」を表しているということになるでしょうか。
一般的に、『相承(そうしょう)』という言葉は弟子が師から技芸や教えを受け継ぐという意味で、これは、仏道修行と同様に庭の世界にも存在します。
先日、うちで修業した若者と話をしたことがあるという方とお話する機会があり、「土地の自然や気候風土に適う庭」という点について共通のものを感じたと言われておりました。
私のこの考えは、『自然には法がある』と言われた修業時代の師匠の一言が元になっていますが、秋田に帰り、庭や自然と向き合う中で自身の中に構築されていったものです。
自分自身の体験から来る考えなので他者に強要や強制はしませんが、日々の仕事や自然と接する中でこのことを感じ、修行を終えた後も心の元に置いてくれているのは嬉しいことでもあります。
『相承』。
有難い言葉をいただきました。
師走の終わりに、禅師と我が師への感謝が募ります。
※ 会報では、弊社のブログで作庭の様子を閲覧できることも記していただいてますが、下記の二つの記事でご覧いただけます。
『紅葉山を行く小道の庭~宝勝寺さんの庭① 』、『鐘型水琴窟と太鼓橋のある庭~宝勝寺さんの庭② 』
ご紹介くださり、ありがとうございました。
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