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戯言

自由は不自由

『自由は不自由やで。不自由の先に自由がある。』

放映中の朝ドラ、「スカーレット」に出てくる芸術家の言葉です。
この芸術家と接したことが刺激になり、作陶をする主人公夫妻の創作心が覚醒されて、これまでと違った作品が生み出されていきます。
こうしてみると、『不自由』とは、「生みの苦しみ」のようなものかもしれません。

この『不自由』ということはやはり感じたことがあって、以前に、『自由という不自由』というエッセイを書いたことがありました。
自分の庭づくりを模索していた頃、専門誌の記者さんから庭を見てもらう機会があって、その時言われたのが、『もっと自由にできるはずだ』という言葉。
たとえば飛石で言うと、飛石は露地から発生発展したものだから、「着物を着て歩く歩幅で歩き良いように交互に打つ」という観念でずっとやってきたことが、

そもそも、露地ではない庭に飛石は不要なのでは?
いやいや、茶の作法は別にしても、「足を汚さずに歩ける」という原点に帰れば飛石は必要だ。
では、スニーカーやサンダルで歩く現代の庭に相応しい飛石とはいかに?
「歩きやすい」からもっとくだけて、「歩ければいい」という程度で、もっと自由で楽しい道をつくれないか?

などという自己問答の結果、現場で飛石が打てなくなりました。
その時思ったのが、『自由とはなんと不自由なことか!』ということ。

覚えたものが邪魔をするということがありますが、覚えたことだけでやっていくと安定はするものの、創作者としての進化は止まる。
そうなりつつあることに気付きながらも動けないでいる時、壁を超えた人の一言が、不自由な世界に足を踏み入れる勇気をくれました。
というよりも、『自由』という言葉に飛びついたら、そこは不自由なトンネルだったということですが、トンネルは、戻らなければ必ず抜けて、暗闇の先には光がある。
『不自由の先に自由がある』とは、そういうことかもしれませんね。

「スカーレット」の主人公はその後、自分の発想で自分がつくりたいものを創りますが、庭は予算や施主の希望が先に来るので、創りたいものを創って後から値段が付くというような、芸術家のようなことはできません(できている人もいるかも)。
でも、美的感覚や創作心を持って技術を磨き、『美を生み出す』という点では作陶家も作庭者も同じで、そのモチベーションを維持するために、畑で試作をしたり、自邸やイベントで好きなように庭をつくるということをしてきました。
それは湧いてきたモノを純粋に形にするという楽しみでもありますが、頭のイメージに技術が付いていかない時もあり、楽しいことが苦しいという不自由さを感じることもあります。
ただ、こうしたことが自分の活性化になるので、時々は創作の不自由を味合わなければと、ドラマを見てそんなことを感じました。

さて来年は、どんな発想が自分の中に湧いてくるでしょう。
「スカーレット」の今後とともに、自分の庭づくりにも期待します。

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自由に作ってみた庭の数々。
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