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メディア掲載記事

「天そそり立つ茂谷が峰」を探して(分館報とみね105号)

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年2回発行の「分館報とみね」のお盆号に、拙文が掲載されました。
原文を下記にご紹介します。
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「天そそり立つ茂谷が峰」を探して    福岡 徹 

きみまち阪からも見える茂谷山
 雲海に浮かぶ七座山が見たくて、きみまち阪に登った時のこと。山並みを流れる雲の神々しさに見惚れていると、やがて空は晴れ渡り、遠くの方に見覚えのある山が見えてきました。茂谷山です。「風薫るきみまち阪(二ツ井中学校の校歌の1番)」から「天そそり立つ茂谷が峰(富根小学校の校歌の一番)」を見ているわけですが、ふと、「天そそり立つ茂谷が峰」とは、いったいどこから見た茂谷山なのかという疑問が湧き立ちました。思い立ったが吉日。早速、茂谷が峰を探す旅に出掛けました。

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  一本松(きみまち阪)から見える茂谷山              駒形側から見る茂谷山

「あいたの浦」って、どごだ?
 茂谷山は二ツ井の街なかからは見えにくく、米代川沿いに下ると、白岩辺りの堤防から烏野台地の上に顔を出します。方位的に、駒形から見える茂谷山と同じ角度ですが、山は富根に近づくにつれて小さくなり、富根橋を渡ると矢崎の山陰に隠れてしまいます。富根小学校の校歌の一番では、「天そそり立つ茂谷が峰」は、『あいたの浦を行き来する 船路の人は遠くより 高き印と仰ぐなり』と続きますが、私はこの「船路の人」を、米代川を下る筏のことだとずっと思っていました。ただ、富根橋から「流れて清き米代」の前に立つと、さらに視点が低まる川面の船上からは、茂谷山は見えなかったのではないか。いやその前に、下流に向かう筏は「行き来」しないよね・・・。私の自説は、ここであえなく消えました。

 富根からは、そそり立つ茂谷山は見えない。はて、ではこの「あいたの浦」とはいったいどこのことだろう? ネットで調べると、「能代沖を航行する船が、茂谷山を能代港入港の目印にしていた」という記事が目に留まりました。試しに向能代まで下ると、なんと茂谷山は、きみまち阪よりも遠い能代平野から見た方が高く大きく見えるのです。「浦」は辞書引きすると『海辺や湾』。校歌の一番は記事の通り、日本海側から見た茂谷山を歌ったものなのでしょう。となると、海を「行き来する船」は、北前船のことでしょうか。

 でも、ここまで来ても全くわからないのが、「あいた」。これは地元の先輩に聞いてみようと、羽立の工藤金美さんを訪ねました。すると、「あいた」は『あきた』のことで、「あいたの浦」は『秋田の海』だということがわかりました。工藤さんはこのことを山本達行さんから教えていただいたそうですが(山本さんは校歌の作詞者である山本時宣氏のご子孫)、山本さんにお話を聞くと、秋田の古名は「齶田(あぎた、あいた)」で、阿倍比羅夫が北方遠征をした際に、「齶田」や「渟代(ぬしろ:能代の古名)に来航したことが日本書紀に出てくるそうです。この阿倍比羅夫の北征は七座神社の石碑にも記されているとのこと。出掛けてみると、碑文にはまさに、『齶田の浦』という字がありました。さらに調べると、秋田には「齶田の浦神」という神様もいて、七座山天神宮のことでした(秋田県神社庁のサイトより)。雲海の七座から始まった旅の答えが七座にあったというこの顛末。いろいろ学べたことに感謝して、天神様に手を合わせてきました。

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              富根橋付近から見える茂谷山(左)と、朴瀬辺りから見える茂谷山(右)

5番まであった校歌
 実は、この旅の最中に、校歌が5番まであることを知りました。私は新旧両方の校舎に通いましたが、当時は2番までしか見たことも歌ったこともなく、平成20年の閉校記念誌で3番の存在を知りました。さらに遡ると、百周年記念誌(昭和50年)には5番までが載っており、これに驚いた私はまたもや工藤金美さんにお話しすると、『私たちは、今でも同級会で5番までを合唱しています』。校歌も素晴らしいですが、それを歌い続ける先輩方のなんと素敵なこと。
 折しも、放映中のNHK朝ドラ「エール」は、多くの校歌を手掛けた古関裕而さんご夫妻の物語ですが、富根小学校の校歌もまた、私たち卒業生を励ましてくれるエール。故郷を離れた方々は特にそんな思いをお持ちなのではと、お盆のこの時期に、懐かしの校歌をお届けします。
 
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5番までの校歌(工藤金美さん所有の同級会プログラムより)

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この文章は、これまでブログに書いた茂谷山や富根小学校の校歌についての記事を一つにまとめたものです。
この場を借りて、取材にご協力いただいた皆さまと、寄稿の機会をいただいた富根分館運営委員会の方々に感謝いたします。
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