市議会の出来事
2020年12月12日

市議会の一般質問を報じる地元紙の記事。
議員が新型コロナの感染拡大に関することを「イベント」と言ったことに対して、市長が不適切な表現だと撤回を求め、議員はやむなくそれに応じた。
その一連のやり取りが議事録から削除されたとのこと。
「イベント(event)を辞書引きすると「 出来事。催し物。行事。」と出てくる。
議員は『出来事』の意味で話し、市長は『催し物』と受け取ったが、自分もこの言葉に「出来事」という意味があることを知らなかった。
日本でも学術の世界では普通に使われているという話も聞くが、それでもまだ一般的なものではなく、そうした言葉をわざわざ英語に言い換える必要があったのか、英語にすることでかえって伝わりにくくなるのではないかというふうにも思った。
おそらく、市長をはじめ、議場にいた議員のほとんどが「イベント=出来事」とは知らなかったと思うから、議運も一般的な判断をしたのだと思う。
ただ、なんとなく気になっていろいろ調べてみると、件の議員のブログが出てきて、そこには『中学の英語で習った言葉をそのまま使った』と書かれていた。
前述の通り、「event」は「 出来事。催し物。行事。」と出てくるように、「出来事」が一番はじめに来る。
「イベント=催事」は日本のカタカナ英語に近いとも言うから、議員は他意無く自然に、本来の意味としての言葉を口にしたのだろう。
ここで思い出したのが、能代市役所新庁舎が完成した年の春、雨の当たらない屋根下のツツジが枯れかかっていることを伝えた際、「専門的なことはわからない」と答えた市職員に対して、『植物が生きるのに水が必要なことは小学校の理科で習うことです』と話したこと。
人のことは言えないなと、義務教育で習っていたはずのことを忘れていた自分を恥じ、同時に、子供の頃に習った言葉を忘れずに使っている議員を素晴らしいと感じた。

議員のブログを見た翌日の地元紙。
今度は、議員がブログで事の経緯や真意を説明していることについて、それを良しとしない他議員が「如何なものか」と議運にお伺いを立て、議運もまた、「削除したにもかかわらずブログで正当化している」と話している。
議員は9月議会でもコロナのことを「イベント」と話していること、個人の表現の範疇で書いたものに第三者が踏み込むべきではないと返しているが、第三者として見ると、議員の言い分に軍配を上げる。
まだ検討の段階だが、もしこれがブログの削除や議員への懲罰等の責任問題に発展するようであれば、そのような市議会には多くの市民が幻滅するだろう。
悪意の無い言葉一つの扱いでここまでのことをするのはとても恥ずかしく、怒りや情けなさも覚える。
議運は議会の行司役だと思うが、議運にブログの是非を問うよりも、中学生に言葉の是非を訊いてみたらどうかと思う。
議員方々は子どもたちがどう思うのかを考えて、フェアな判断をしてもらいたい。


当ブログには出していなかったけれど、2014年に能代市議会の一般質問を傍聴した時のことを地元紙に寄稿したことがあった。
その時感じた議会の雰囲気についても書いたけれど(赤枠部分)、質問中の新人議員に対する議長の見下したような言葉遣いや、自分は質問せずに若手議員に小言を飛ばすだけのベテラン議員に大きな不快感を覚え、ベテランは若手の手本になるような行動をし、会派や与野党の枠を超えて次代を担う議員を育ててほしいとお願いをした。
この時の若手議員に対する議長の対応は、その後に議長不信任案の採決にまで発展したが、成り行き上、その議会も傍聴し、休憩時間に廊下の椅子で待っていると、畠山一男議員と一緒になった。
記事をご覧いただいたとのことだったが、議員の質の低下を憂い、そのことに涙を流していたのを見て、こちらも胸が熱くなったことを思い出す。
議会を思って男泣きするほどの熱い議員がいることに驚き、こんな議員さんがもっと増えてほしいと思った。
畠山さんは勇退されたが、今の議会をどう見ているだろうか。
能代市議会には今、20代~40代の有望な議員がたくさんいる。
そして、これからも、志ある若手が出てくるだろう。
その上の世代は、彼らの手本となる行動をしてほしい。
一市民として、そう願っている。

力は善に