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戯言

能く代わる

地元紙で、『そして能代市は残った』という記事を読んだ。
平成の大合併の際に、新市名を「能代市」とするべく活動された人々の記録のようだった。

拙い記憶でこの時の事を振り返ってみると、
十数年前の能代市山本郡(7市町村)の合併協議の際、合併協が新市名に現市町村名を使わないことを取り決めたことに対して、能代市民の中から「能代市」の名前を残したいとの声が上がり、公募で選ばれた「白神市」という名称に対する内外からの反発もあって郡市の大合併はご破算、空中分解した7市町村が隣町同士で小合併を進める中、その波に取り残された能代市と二ツ井町が結び付くに至り、結果として、人口で大きく勝る「能代市」の名前が採用されたと、そんないきさつだったように思う(順不同や理解不足があったらご容赦)。

記事では、合併を進めるにあたっての、『冠(能代の名前)を捨てる覚悟』という当時の能代市長の言葉を問題視しているが、市名を残したい側からすれば「うちの市長は何を言っているのか!」となるだろうし、周辺町村の側からすると、はじめから「能代市ありき」の合併には応じるわけもない。
周辺町民だった私も、公平対等平等に行うべき合併において、合併協のリーダーたる市長発言は当然のこととして受け止め、能代市長は不退転の決意で臨んでいると評価をしていた。
トランプ元大統領は「アメリカファースト」、小池知事は「都民ファースト」を訴えて当選したが、一国や一自治体ではそれでよくても、他と手を携えてやらなければならないことに対して、いかに「能代」が歴史ある古い名前であろうと、「能代市名」を「ファースト」にもってくることには大きな違和感がある。

能代人(「能代衆」は失礼なので)が能代の名前を残したいと言っていた時、他町村で、自分のまちの名前を残してと言っていた人はいたか。
この時の思いは、言葉にすれば「不快」ということでもある。
名前を残したい側にすれば功績でも、じゃない方にとっては、寂しく悲しく辛いこと。
あれから十数年経ち、忘れかけていた悲しい気持ちを思い出した。
同時に、当時の合併協が現市町村名を使わないようにと最初に取り決めたのは、新市民にこうした不快感を抱かせないためのことだったと、常識的な配慮をしたことについて、今さらながらに評価をしている。

自分が暮らす地域に愛着を持つのは誰もが同じで、自身も、「二ツ井町」>「富根」>「駒形」という地名には思いがあり、コミュニティが小さくなるほど愛情は強まる。
駒形は、祖父の代には「駒形村」で、昭和の初めに「富根村」と合併して「富根村」になった。
富根村はその後に二ツ井町と合併して「二ツ井町」になり、二ツ井町は能代市と合併して「能代市」になるなど、この地域は常に大きな所に組み込まれてきた歴史があるせいか、『名前が残った』ということへの感慨を経験したことがない。
そんなことも、この記事に共感できないことのひとつとしてあるが、今年3月の「地域自治区」の終了とともに消える恐れのあった「二ツ井」の名前が、議会の協議の結果、残ることになった。
多くの二ツ井地区住民がホッとしたと思うが、こうした安堵感が、名前が残ることの感慨に近いかもしれないと、これは喜びとして感じている。

二ツ井と能代の合併が決まった時、地元紙が掲載した旧能代地区の意見の中に、「二ツ井の人たちが不利や不便を感じないように願います」というやさしい声があったのを覚えている。
こうした声をありがたく思い、二ツ井から能代地区のボランティアに出掛けたりもしてきたが、二ツ井も能代も、山間部も市街地も格差なく、互いが互いを思いやれるような「能代市」になれば素晴らしい。

「能代」という名前はもともとは「野代」で、野に代わるのは縁起が悪いからと、遠い昔に『能代』に変えたと聞く。
遠い未来、今のこの合併は、『能代と二ツ井がもっと能くなるために、新しい能代市になった』と言われたいものだ。
『能く代わる』という市名は、過去の伝統を誇るよりも、未来への期待にあふれた名前。
新生能代市民としては、そんなふうに思っている。

2021ssirakami (2)

能代市山本郡のどこからでも見える白神山地。
手前を流れる米代川は、二ツ井を通って能代に注ぐ。
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