杜の木漏れ日

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植木屋と造園業者

この間の市長対談の様子が先日の地元紙2面で紹介された。
「『日本一の景観』へ提案」と、インパクトのある見出しを付けていただいた上、しかもカラー写真での掲載。
たった三人での提案だったが、地震や県議選のことを伝えなけれはならない中、紙面を割いて掲載していただいたことには心から感謝したい。

ただ、今回の記事で気になったことが3つある。

同日の紙面には被災地から生還された方の体験談があり、津波で流された車が公園の木で止まり、家族の命が助かったという記事があった。
市長対談では、阪神大震災で街路樹が火災の延焼を食い止めたり、道路に倒壊した建物を木が支え、人命を救った話も紹介、能代の街路樹の多くは大火の対策として植えられたものだから、防災効果を果たすためにはどんな姿にしておくことが望ましいのかと、そんなことも話し合ったことなども書いてくれたら、津波から命を守った公園の木の記事と併せて、読者の心により街の木の大切さが伝わったのではないかと思う。

もう一点、「30年先に、こういう街路樹をつくりたいという目標を持つべき。」と私が言ったそうだが、全くもって覚えが無い。
樹種や街路の環境で変わる緑の姿を、30年と言い切れる自信が自分には無い。
仮に言ったとしても、「20年30年先」とか、あるいは「将来的にこういう街路樹をつくりたいという目標」と言うと思う。
いやいや、これも違う。
自分は、「樹をつくる」というような、木よりも人が上に立つような言い方は絶対にしない。
「人と木の共生は木への強制であってはならない」といつも言っている自分が、新聞で「樹をつくる」と言っている。
この新聞で話している自分は、本当にオレなのか。
誤解の無いように言うが、もし自分がそんな発言をしていたとしたら、「将来的に、こういう緑の街並みにしたいという目標を持つべき。」という意味だったと、ここで訂正させていただきたい。

そしてもうひとつ、見出しに大きく「造園業者でつくる会」と書かれたこと。
12月の街路樹写真展や2月の桜剪定勉強会でも取り上げていただいたが、この時は「造園業者の会」ではなく、「庭師らでつくる会」、「街の緑のあり方を研究する会」と紹介していただいていた。
それが今回は、「造園業者」を前面に出した書き方をされてしまった。
「造園業者の会」という表記は、太字で書くほど重要なことなのだろうか。
読者に「この方々は造園業者の皆さんです」と知らせなければならないものなのか。

自分は、これまで一度も、造園業者と名乗ったことも無ければ、職業名として書いたことも無い。
緑の景観を考える会の紹介でも、「造園業者の会です」と言ったことは一度もない。
話をしたこともない記者の先入観で「植木屋=造園業者」とされてしまうことがとても悲しい。

自分たちの提案は、業者の域を越えた専門性の高いものだという自負がある。
植木屋としてよりも、ふるさとの街の木を愛する一市民として提言している。
記事では剪定に特定した提案のように書かれているが、俺たちは「緑のまちづくり」についての提案をした。
記者の目には、造園業者が仕事として剪定の話をしていると映ったのか。

自分たちは植木屋だけれども、この会は業界団体ではない。
業者参加の会ではなく、緑を愛する個人参加の会である。
会員の条件を植木屋と特定しているわけでもない。
でも、記者の先入観で、そんなふうに書かれてしまう。

新聞などでは、菓子屋は菓子職人、建具屋は建具職人と紹介される。
でも植木屋は造園業者となる。
なぜだ?
植木屋は、植木職人ではダメなのか、庭職人ではダメなのか。
何をやっても植木屋は、バカの一つ覚えのように「造園業者」でひとくくりにされてしまうのか。

俺たちは、言われたことしかやらない造園業者とは違う。
金にならないことしかやらない造園業者とも違う。
俺たちは、生きる生業(なりわい)としてではなく、自分の生き方として植木屋を選んだ。
金を儲けることが生き甲斐ではない。
いくら儲けたかでは喜ばない。
いい仕事をすることが生き甲斐で、世のため人のためになることが喜びだ。
役所から仕事をもらいたいために、造園業者にありがちな下心でやっているのではない。
街の木を守りたいという志でやっているのだ。

この市長対談の当日の資料には庭誌に書いた私の一文も添付されていた。
その文の最後には、業界のために街路樹改善を提起する全国の造園関係者に向けて、「私利があったら志とは言わんがぜよ。」という坂本竜馬の言葉を引用して警鐘を鳴らした。
鳴らした本人が、地元では造園業者と言われている。
世の中には、造園業者と呼ばれることに何の抵抗も感じない人もいるだろう。
呼ばれ方などどうでもいい。いい仕事をすればそれでいいんだと達観されている人もいるかもしれない。
しかし、自分を職人と思うか造園業者と思うか、この意識の違いは仕事の質や言葉、行動にも現れると思う。
俺の言葉や行動は造園業者なのか。
ふるさとの街の木が次々とぶった切られて行く中、たった一人で立ち上がった俺はただの造園業者か。
同じ思いを持って集まってくれた仲間には修行中の若手もいる。
純粋に庭や緑が好きで志で動く若手さえも、造園業者でくくられなければならないのか。
そんなことが今、涙が出るほど悔しくて悲しいのだ。

そんな思いを地元紙に話したところ、行き違いがあったと謝罪の言葉をいただいた。
どこまでも意地を張るつもりはない。
わかってくれればそれでいい。
でも記事として訂正は載らないから、ここで書くことにした。

周りからどう見られているのかを気にするのも、人間としては小さいな。
こう見られたいという欲が自分にあることがわかる。全くもって小さいな。

職人ならば行動で示そう。
評価はいずれ付いてくる。
どんな評価が付くかより、今は誇りを持って何をやるかだ。
植木屋の良心と誇り、これで頑張ろう。

Comments 10

紅の葉  

にわ男さんへ

にわ男さん、熱く尊い言葉の数々、どうもありがとうございます。
全国の造園関係者の皆さんが、このコメントを固唾を飲んで読まれていることでしょう。

>草木の生命と我ら人間の生命とが触れ合い呼応する、 それが春
そして、それが『庭』ですね。
草木と人を繋ぐのが庭、そしてそんな環境を創り出していくのが、我々造園に関わる者の使命ではないかと思います。
いつからか、自然(じねん)に含まれていた人間は、自分が自然界の一部であることを忘れて、山水を「自然(しぜん)」と分けて呼ぶようになりました。
それが、人間が自然への畏敬を忘れ、自然破壊に手を染めて行った始まりといえるかもしれません。
人間によって分けられた自然と人を繋ぐことが造園の役目で、我々はそれを繋ぐ造縁者でありたいですね。

>人の生き方の高低浅深で呼称も変わって当然
作庭者に哲学が必要なように、造園者にも哲学が必要だと思っています。
「造園」は街路樹文化と共に明治期に入ってきたもので、個人庭からパブリックな緑空間までを含む、とても広義で大きな言葉だと思います。
造園者は人と緑が快適に暮らせる空間を創るために貢献する人々であり、ランドスケープを創る人たちですから、造園業者という表現は人々の生活よりも自分の生活を守る人という小さな印象を与えかねず、大きな使命感を持って日々精進する造園者にとってあまりふさわしい名称ではないと感じています。

>善き「行」を積み、その積んだ行為が業
造園に携わる中で積んだ行を持って業とし、そんなことにこの生命を燃やして行かなければと思います。
被災地では、自分の生活よりも人のために生きる多くの人たちが頑張っています。
被災を免れている私たち造園業者は今、自分の仕事の意味や生き方について、真剣に考える時を迎えているようです。

にわ男さんのバネの利いたコメントのおかげで、秋田もすっかりスプリングハズカムです。
慣れない英語で、おハズカしい限り(笑)。

2011/04/16 (Sat) 13:06 | EDIT | REPLY |   

にわ男  

業者?! それとも亡者?!

野に山に緑が一斉に芽吹いてきました。
暗く打ち沈んでいる我々人間界と違って、草木は、何事も無かったかのように今年も初々しく若芽を日一日と大きくさせ緑を深めています。
一年のうちでこの季節が最も好きです。
昨日の芽と今日の芽は違うのです。
日々成長しているのです。
そのけな気な姿に「にわ男」は、生きる歓びを感じてなりません。
草木の生命と我ら人間の生命とが触れ合い呼応する、
それが春ではないでしょうか。
その生命力を感受し、我らの命が跳ね上る、つまり躍動の春です。
英語でいえばバネですか、いや違う、スプリングですか。

厳しい冬の寒さを乗り越えた者だけが、
太陽の暖かさを享受できます。

業者 職人 作業員 労働者 

人の生き方の高低浅深で呼称も変わって当然ではないでしょうか?
今では身分階級制度も平等ですが、かつては、
「士農工商」で、モノづくりに命を削ってきた匠たちは、
命を支える食物を作ってきた農の次にランクされていたほどです。
商いが悪いとか、下だとかいいませんが、
経済至上主義の現代社会では、モノ売りが偉そうにしています。
モノ創りが存在してこそ、モノも売れるのにです。お互いさまです。
長くなりそうです。
生き方は、死に方。
生き様が、死に様に。
業者か亡者か。
職に命を使う。
命を使うのが、本当の使命。
この度の大震災で、生き方の感触に変化を感じます。
生まれて老いて、病に罹り死んでいく、
これだけは永遠普遍のリズムです。
億万長者だろうが、ホームレスであろうが、大企業の会長だろうが、零細企業の社長だろうが、
誰にでもいづれか迎えるのが、死です。
死んだらすべてリセットされません。
リセットできたら好き勝手に生きるでしょう?
目覚めたら昨日と違う自分だったらいいようにと、それと一緒です。
だから善き「行」を積むんです。
その積んだ行為が、業となるのでしょう。 修業と修行 この違いは何?!

この生命を、何に命を使うのか?
今からでも間に合いますよ、
ゾウエンギョウシャさん。

2011/04/13 (Wed) 13:47 | EDIT | REPLY |   

福岡  

私は造園業者さんへ

お話しするのを忘れておりましたが、HPに「街の緑を考える」というコンテンツがあります。
http://www.shirakami.or.jp/~niwaya/machinomidori.htm
2005年から2007年までの活動初期のころのもので、まだブログを始める前の街路樹活動のことがここに出ています。よろしければご覧いただき、ご意見ご感想などいただけたら嬉しいです。未熟なことばかり書いてありますので、ぜひアドバイスをください。技術的なことでも何でも構いません。また、差し支えなければ貴方さまの街の街路樹についてもお知らせください。こちらのコメント欄でもメールでもどちらでも結構です(メルアドを入れておきます)。

私の言動についていろいろお気に触る面もあるかと思いますが、造園に携わる者として良い仕事をしたいという思いは同じだと思います。私は思いの強さがそのまま言葉となってしまうせいか、同業からも上から話すと言われて嫌われます。本当に不徳の致すところです。
おっしゃる通り、批評や批判だけではダメで、それをやって見せることができるのが職人、というのが私の持論です。若い頃は、無言実行が職人の美徳と思ってやっていましたが、40代になってから、有言実行で行かなければ何も伝わらず、何も変わらないと気付きました。出れば叩かれ、生意気と言われます。でも出て行かなければ変わらない。記事では「自負がある」と言いましたが、字のごとく街路樹活動は出たことで自分が負けてきた歴史です。ご存知のように、業者はみなプライドが高いので、新聞や専門誌に書く時などはいつも、負け続けてきた私の失敗談を紹介しています。上に立っての話などとはほど遠い、本当に恥ずかしい話ばかりです。

私がブログでいろいろ発信するのは、同じ思いを持つ仲間と出会いたいという思いなのですが、貴方はそんな私の発信に何かを感じて書き込まれました。そんな意味では、貴方は私の共感者で仲間です^^。
先日コメントいただいた福島の新さんという方は同い年ですが、貴方と同じくネットで知り合った方です。専門誌の対談で実際にお会いする機会を得ましたが、技術や作庭観はもちろんのこと、明るく楽しい人柄も含め、人間として尊敬しています。庭師は、師という言葉が付くように、自称するものでは無く他称されるもの、優れた職人に対する尊称だと私は考えています。この方は謙虚に造園業者と名乗りましたが、まぎれもなく庭師そのものです。私もいつか、そんな庭師になりたいと思っています。

「私は造園業者さん」も、きっとそんな方ではないかと思っています。袖摺り合うも何かの縁です。これを機に、街路樹ばかりでなく庭の話なども出来たらいいですね。それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

2011/04/11 (Mon) 17:53 | EDIT | REPLY |   

紅の葉  

にわ男さんへ

にわ男さん、大変ご無沙汰しております。
画像掲示板の前の掲示板の頃だったので、もう5,6年ぶりぐらいになりますでしょうか。本当にお久しぶりです。
あの頃は、にわ男さんから投げかけられた禅問答のような問いの連続に眠れない日々を過ごしたものでしたが(笑)、あれがあったからこそ、自分が作庭者としてどうあるべきかを考え直すことができました。その節は本当にありがとうございました。
あの時は、庭とは何か」に始まり、「飛石は現代の庭に必要か?」、「作業員と職人の違い」、「『作る』と『創る』の違い」。「伝統と伝承の違い」など、いろんな問答がありましたね。
「つくる」には「造る」もありますが、今ここで話題となっているのが「造園・業者」という言葉で、これについての興味深い問いかけをいただいています。「造園」とはなにか、「業者」とは何か、そんなことを考えるきっかけになりそうです。

造園に関わる人の名称は、植木屋、造園業者の他にも、造園職人、植木職人、庭職人、庭師、ガーデナー、ランドスケープ・アーキテクト等様々ですね。今回、私が記事中で書いた、「私はこんな造園業者とは違う」という「こんな造園業者」とは「作業員と職人の違い」の作業員的な仕事をする人たちに似ています。役所がブツ切りの指示を出せば平気でブツ切りし、命ある木を切ることに何のためらいも持たずただゴミとして捨てる。生きるために木が必死で伸ばしている枝をゴミとして見る感覚や、自分たちが扱う木を金もうけの対象としてしか見れない感覚、木に愛情すら持たない人、こんな造園業者を腐るほど見てきました。「私は造園業者さん」は、うちが屋号で造園を名乗ることに対して異議を唱えられましたが、造園の本来の意義を忘れた造園業者があまりにも多いように感じています。私は逆に、造園の本道から外れた方々が「造園」を名乗ることに対して異議を唱えたい気持ちです。多くの造園業者さんに欠けていると感じるものは「木を命として見る」という当たり前の感覚です。木に命があることは保育園児でもわかること。私は、ブツ切りされた街路樹を見た自分の子供から「お父さん、なぜあの木には腕が無いの?」と言われ、返答できなかったことがあります。子供に嘘をつく大人(造園業者)でいたくない、ということが、街路樹改善活動を始めた切っ掛けでもありました。役所の人にも造園業者にも、この子供の素朴な問いに答えられる人は何人いるでしょう。大人が言う、「お前たちを養うためだ」で子供は納得するのか。これまでいろんな造園業者の方に街路樹改善の話をしましたが、たいていは「理想だ」と笑い、「役所はお客さんだから逆らわない方がいい」と言う人もいました。こんな考えで仕事をする造園業者の世界に、次代の若者は入りたいと思うでしょうか。夢と希望を持って造園を学ぶ若者のためにも、このような業界の意識を変えていかなければならないと思います。
「木は命」を忘れている大人(造園業者)があまりにも多いのは、仕事としてしか木を見ないからです。人として見ればわかることが、造園業者であるがゆえに見えなくなっている。街中の街路樹では釘打ちされた看板や針金、腐った支柱がそのまま付いているのをよく見かけますが、これが何を意味するか。業者が「剪定」という仕事としてしか木を見ていない証拠です。人として見れば、一市民としての感覚で見れば外そうとするはずです。植木屋なら、出入りの庭の木の支柱が腐っていたら外すと思いますが、公共でそれをやる業者は少ない。役所はお客さんだから気づいても話せない。植栽支柱が植えた木より高くなって景観を壊していても、何の疑問も持たない。検査が受かればそれでいいと思っているからで、そんな仕事に慣れ、そのことの善悪にすら気付かないからです。そんな造園業者の仕事を見る度に、これは職人の仕事ではない、私はこの人たちとは違う、一緒にされたくないと思うのです。真面目にやっている人も同じく造園業者とひとくくりにして見られるのであれば、本当に迷惑な話です。
「業」という言葉は一般的に仕事を表すものですが、本来は仏教用語で「行為」を意味し、その行為が善悪であるかで、天国に行くか地獄に行くかが決まるそうです。同じ読みの「行」は修業を表す仏教用語ですが、これは業と同義であるとのこと。地獄に落ちないためにも、本物の造園業者になるためにも、「行」を積まなければと思うこの頃です。
久しぶりなので、つい話が長くなりました^^。

2011/04/11 (Mon) 12:07 | EDIT | REPLY |   

にわ男  

造園業者さんへ

 ごぶさた しております。
だいちのゆれとはるのおとずれで、めをさましたにわおとこです。ぞうえんぎょうしゃさんへあなたにはなんの
うらみもありませんが、このはさん、ことふくおかさんのげんどうをにんしきしておりますか。じゅもくをあなたはどのようなきもちでかかわっていますか?
このひがしにほんだいしんさいで、ひととしてのいきかたがとわれています。あなたもこれをきに、いきかたが
かえられるぜっこうのちゃんすだとおもいます。
かんじへんかんできませんので、よみづらいとおもいますが、おたがいにかんがえなおしましょう。

2011/04/10 (Sun) 11:16 | EDIT | REPLY |   

福岡  

私は造園業者さまへ

私は造園業者さまへ

大変申し訳ありません。変換ミスにより、先のコメントで「造園行者」とお名前を誤って入力しておりました。訂正の仕方がわからないため、そのままとなってしまいますこと、お詫びいたします。
でも間違ったおかげで一つ気づきました。「造園行者」という響き、私は好きです。「業」が「行」に変わるだけでこんなに気持ちが清々しくなるものかと驚きました。造園を行う者と書けば造園行者になるんですね。植木屋は造園を「行」とする者で庭の修行者だと思いますので、これからは造園行者の気持ちていきたいと思います。

せっかくなので、「造園業者」について少し話をさせていただきます。造園業者という呼び名は新しく、公共的なくくりだと思いますが、うちは個人庭主体の庭屋のせいか、私が造園業者と言われることに馴染めないのはそんなこともあります。植木屋のほうが私はビタッとくるんです。だから私の名刺には「植木屋」とだけ書いています。これは土地柄でいろいろだと思いますが、地元では「造園」という言葉自体に馴染みがなく、お施主さんに電話で「福岡造園です」と言ってもピンと来ない方が多く、「福岡です」とか「植木屋です」の方が通ります。屋号よりも人で見てくれていることをありがたく感じ、仕事でご期待に応えるためにも、もっと人間を磨かなければと思います。
うちで行う公共工事はわずかですが、少ない仕事の中でも、設計が決まっている中でも、こちらから提案して取り入れてもらってきました。これは街路樹でも同じです。しかし、担当者が変わればまた元に戻り、自分が損得抜きで手掛けた木が他業者によってブツ切りにされてしまうのです。造園の専門職のいない小さな田舎町の役所では、発注の元を変えなければ、発注者である役人の意識を変えなければ何にもならないのです。仕事を受ける側の業者としての提案はその時の工事でしかできません。受発注の仕組みそのものを変えるには、役所の下で仕事を受ける業者としてではなく、専門知識を持つ市民としてでなければ、行政と対等に話すことはできないのです。受発注の仕組みが変わり、適正な剪定仕様での発注ができるようになれば、業界のしがらみで動けずにいる多くの職人の腕を活かすことができます。剪定を知らない役所が発注する仕事を建設会社が取り、その下請けで技術を発揮できない造園業者が全国にどれだけいることか。植木屋の誇りを捨て、利益を上げるためにブツ切りをやっている造園業者組合の中で、良心の呵責にもがきながらも動けない植木屋が日本にはたくさんいるのです。役所の体制を変えることはそんな植木屋さんを救うことにもなるのです。変えるためには、自分が仕事を受けることを捨てる気持ちで臨まなければならない。私はそんな思いで、地元が変わることで日本を変えていきたいと思っています。ふるさとの木を救う中で、全国の優れた職人が腕をふるえるような世の中にしたい。そんな思いです。もし貴方様にも、日本の緑と職人を本気で救いたい熱い気持ちがあるのなら、どうか私に力を貸してください。貴方も貴方の街で動き、自分の街の緑を変えてください。

役所や新聞社、同業の方と街路樹の話をする中で感じていることは、「向く」人もいれば向かない人もいるということです。役人も記者も植木屋も、結局は「人」です。人は、自分が変わろうと思わない限り変わることはできません。人が人を変えることはできないのです。もともとの意識の無い人はいくらやっても変わりません。私がやっていることは変わろうとする気持ちのある人に対してのきっかけづくりです。活動を始めてから、地元行政にブツ切り見直しを表明してもらうのに三年掛かりました。役所が一度決めたことを変えるためには世論という大義名分が必要ですが、この三年という時間は市民の理解を得るために掛かった時間と、理解者や賛同者との出会いに掛かった時間です。向く人合う人との出会いは待つより他ありません。でも待ってたら出会いもない。それこそ、ノンビリ待っていては出会いはやってこないんです。そのためにはこちらから出ていって、何かを仕掛けて行って、向く人を探さなければならない。これは同業でも同じことです。
ずっとこのブログを見ているだけだった貴方様が今回コメントをくれたのは何かの導きでご縁だと思います。
明日の日本の庭を創るため、日本の緑を再生するために、ともに頑張っていきましょう!

2011/04/10 (Sun) 06:44 | EDIT | REPLY |   

紅の葉  

しんぼうさんへ

新さん、コメントありがとうございます。
私はプロレスが好きで、タイガーマスクやミル・マスカラスのファンでした。ヒーローものも大好きで、そんな中でも仮面ライダーが大好きでした。月光仮面や鞍馬天狗もしかり、世直しのヒーローにはなぜか覆面が多いですね。この度いただいたコメントは私直しの叱咤激励と捉えて、真摯に受け止めたいと思います。
たたきあげの話、ありがとうございます。私は時々調子に乗っていることがあり奥さんによく叩かれます(笑)。なので、今回の市長対談は内緒の行動でしたが、新聞に出ても何も言わず、無言のタタキの怖さを味わいました(笑)。
この年になっても世間知らずで、思い付きの言動でいろんな方にご迷惑を掛けています。自分では正義を通しているつもりでも、立場によって正しさはたくさんあり、そんな所の調整がとても難しいです。
市長さんは能代の方針として「きづかいの街」の話をされました。能代は木の街ですので、木使いと気遣いです。新聞にも専門誌にもいつも実名で正々堂々と書き、役所にも新聞社にも毅然と話すことを心がけてますが、自分の正しさを通すあまり、それこそ相手を叩きのめさんばかりに論破しようと頑張るので、これが私が人から嫌われる由縁のようです。提言で大切なことは相手の立場を思いやる気遣いですね。私は本当に人間的に未熟です。いろんな方からお叱りをいただきながら、職人として、人間として、成長していけたらと思います。
それにしても原発が心配ですね。先日、原発の汚染処理材として、地元特産のゼオライトが大量に送られました。福島のために、少しでも役に立てたらいいなとと思います。

2011/04/10 (Sun) 04:14 | EDIT | REPLY |   

紅の葉  

私は造園行者さまへ

私は造園業者さま、はじめまして。
コメントいただきましてありがとうございます。
ネットでは「紅の葉」というハンドルネームでおりますが、私は福岡造園の福岡徹と申します。
いつもブログを見て下さっているとのこと、重ねてお礼を申し上げます。
この度は、独り言のような私の戯言に対して真摯に耳を傾けていただき、お言葉まで頂戴いたしましたことに感謝いたします。

屋号についてですが、私は現在社の代表の立場になく、いずれ代変わりとなりました暁には変更する予定でおります。代表も存命中でありますので、ご迷惑かと思いますが、今しばらくお待ちいただけますようお願いいたします。

造園業者という言葉につきましては、これは私見であり、私の好き嫌いの問題ですので、他者から何か言われる筋合いのものでありません。ご不快な思いをされたことについてはお詫びいたしますが、どうか軽く受け流されてください。私は貴方様が何処の何方であるか存じ上げません。貴方様の仕事ぶりや仕事に対するお考え等、全く存じ上げませんので、この記事は貴方様を特定して非難しているものではないことをご理解ください。

この度のコメントを拝見し、街路樹に対する思いは私と同じだとお見受けいたしております。もし、貴方様がHPやブログ等をお持ちでしたら、お知らせくださいませんか。
これをご縁に、ともに日本の街路樹を再生する同志として、お付き合いいただけたら幸いです。

「私は造園業者です」様の「入札に参加して理想の植え木に仕立てる」ご意見、まったくもってその通りであります。私も同様の考えであることから、4年前に市の仕事でそれを行っており、地元で初めて街路樹の透かし剪定を行うことができました。HPの方に、役所への報告書と共に紹介しておりますので、よろしければご覧ください。
(記事はコチラです→http://www.shirakami.or.jp/~niwaya/07-sentei.htm)。

ただ、この時は本当に未熟でしたので、半分成功半分失敗でした。この時の模様は、庭誌の「街路樹は泣いている」シリーズでも紹介しておりますので、機会がありましたら閲覧ください。

入札についてですが、適正な見積書を作成するためにも、剪定工事の入札には明確な剪定仕様書が必要です。仮に、役所がブツ切りの仕様書を出したとして、その業務を落札すれば、契約書の仕様に従ってブツ切りせざるおえません。そうでなければ、契約不履行となって、指名停止等の処分を受けることになります。
私たちの提案は剪定を行う前の段階のもので、入札制度も含めた行政の管理体制の改善について求めています。誰がやっても一定レベル以上の剪定が行えるよう、そんな体制をつくりたいのです。また、街路樹の問題は剪定技術だけで解決するものではありません。これは、業者の中に入るのではなく、市民の中に入れば解ることです。「私は造園業者です」様も、業者としての立場や感覚を超えて、一市民として街中に出てみればおわかりになるかと思います。

お話したいことが山ほどあります。ブログコメントでは限りがありますので、一度、酒でも飲みながら、腹を割ってお話ししましょう。
顔の見えないところでいくら話してもどうにかなるものではありません。
貴方様はどちらにお住まいでしょうか。能代はとてもいい所です。ぜひ一度、遊びにいらしてください。

2011/04/09 (Sat) 22:11 | EDIT | REPLY |   

しんぼう  

前のコメントの方へ

私は福島県郡山市の造園業者「創苑」の新と申します。

応援なら別ですが批判的なお話しをされるなら同じ土俵でするのが大人のルールなのではないでしょうか

福岡さんも堂々と公表しているのです。貴殿もまずは自分のことを名乗ってはいかがでしょうか

覆面をかぶって大衆の背中に隠れてヤジを飛ばしているようではせっかくの男がすたれます

今後の勇気ある行動に期待します


「たたきあげ」という言葉があります

本当に強く優しく人のためになることをするためには「たたいて」くれる貴殿のような方も必要です

そしてより良いふるさとの景色を将来につなぐためにも一緒にがんばりましょう

もっとも私は女性にたたかれたりぶたれたりする方が好きなのですが…

やっぱり最後はこうなってしまいました

福岡さん、すいません…

2011/04/09 (Sat) 13:21 | EDIT | REPLY |   

私は造園業者です  

ちょっと辛口意見で申し訳ないですが・・・

普通の人は「福岡造園」と屋号があったら造園業者だと
思います。ややこしいので屋号を代えられたら?
造園業者から見ても迷惑です。

本気で街路樹を何とかしたいのでしたら、方法がそもそも間違っています。
清々堂々と入札に参加して、地元の仕事を取ってご自分の手入れで理想の植木に仕立てるのが、一番の近道では?なぜそうしないのでしょうか。疑問でしょうがないです。

その行為を見ることによって多分賛同してくれる「造園業者」も現れるはずです。
誰だってブツ切りは嫌ですから。
しかし俺は職人だと造園業者を見下していては、30年
経っても現状のままだと思います。なぜ自分でやらないのか?行動に移さないのか?移せないのか?
造園業者の中に入り込んでいくことを避けているのか?出来ないのか?

前からブログを読ませていただいていますが、いつまでそんなに、のんびりしているんでしょうか?
いつまでも「評論家」じゃなくて、内側にちゃんと入っていって改革してください。
期待しています。

2011/04/09 (Sat) 11:38 | EDIT | REPLY |   

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