能代を守るイチョウを大切に

本日付の北羽新報に拙文が掲載されました。
以下に原文をご紹介します。
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「能代を守る銀杏を大切に」
2月は能代大火の記事をよく目にします。第一次大火は昭和24年に発生したとのこと、古い市広報を見ると、翌年には街の復興整備が始まり、大火対策として銀杏などの街路樹が植えられていったようです。
銀杏は火災の延焼を食い止める「防火樹」と言われています。防火の役割を果たす樹木にはサンゴジュやシイ、カシ等もありますが、これら常緑広葉樹は寒冷地にはあまり適さないことから、能代の気候に合う木として銀杏が選ばれたのでしょう。

(イチョウの樹皮)
銀杏の木は、枝や幹が厚いコルク質でできています。保水性が高いことから、火事などの高温状態になった時には、熱せられた水分が表面に出てくるという性質があるようです。
京都の西本願寺には「水吹き銀杏」と呼ばれる天然記念物の大銀杏がありますが、この木は江戸時代中期の「天明の大火」の際に、火の粉を浴びながらも水を吹き出し、お寺を守ったと言われています。
銀杏は関東大震災の火災でも生き残り、神戸の震災の時も火災の延焼を食い止めました。このような話からも、耐火や防火の特質をもつ銀杏の素晴らしさが解ります。
※水吹き銀杏の記事

(市道の街路樹に残る樹名板)
大火を思い起こすこの季節は、なぜ能代に銀杏が植えられたのかの「元」を思い出させてくれる時です。
昭和27年の市広報には「今年で街路樹が2才になりました」という優しい言葉が記されていました。ようやく還暦を迎えたこの木たちですが、残念なことに、60才を目前にしてブツ切りされてしまいました。銀杏は「公孫樹」とも呼ばれ、お祖父さんの代に植えた木に実がなるのは孫の代になってからと言われています。

(数年前、還暦前に切られたイチョウ)
銀杏の枝葉には、大火復興の希望を持って木を植えた先人の思いが込められています。息子となる私たちの世代は、その思いの枝葉を切らずに伸ばし、次代の子供たちへと残してあげなければなりません。安全で緑美しい未来の能代のためにも、この木を植えた元を繋いでいきましょう。
二ツ井町 緑の景観を考える会 福岡 徹

(イチョウがイチョウらしい姿をしていてこそ「防火樹」の役目も発揮できる。この木の姿は、今はもうここにはない・能代市日吉町)
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昭和24年2月20日は能代大火のあった日です。
毎年、新聞や市広報などで大火の記事を目にすることはあっても、なぜ能代にイチョウが植えられたのかが語られることはありません。
数年前、行政向けの街路樹勉強会の時、「なぜ能代の街路樹にはイチョウが多いのか?」と聞いたところ、課長級の方々でさえそれを知らなかったことに驚きました。
この時、大火後60年の間に行政にも実体験を持つ人がいなくなり、木を植えた元を知る人がいなくなったこと、その元を繋ぐことをしてこなかったことが、街路樹のブツ切りに繋がったのではないかと思いました。
庭にも公園にも街路樹にも、そこに木を植えることには意味があり理由がある。
読者の方々が、そんなことを少しでも感じてくれたとしたら嬉しいです。
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