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秋田県能代市で作庭を行う福岡造園のブログです。 日々の仕事や活動等の最新情報を載せていきます。

能代を守るイチョウを大切に

2012年02月26日
街の緑2(緑の提案と啓蒙:地元紙・専門誌掲載記事) 4
hokuu 2012 2 26 クリックで拡大できます)

本日付の北羽新報に拙文が掲載されました。

以下に原文をご紹介します。

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「能代を守る銀杏を大切に」

2月は能代大火の記事をよく目にします。第一次大火は昭和24年に発生したとのこと、古い市広報を見ると、翌年には街の復興整備が始まり、大火対策として銀杏などの街路樹が植えられていったようです。

銀杏は火災の延焼を食い止める「防火樹」と言われています。防火の役割を果たす樹木にはサンゴジュやシイ、カシ等もありますが、これら常緑広葉樹は寒冷地にはあまり適さないことから、能代の気候に合う木として銀杏が選ばれたのでしょう。

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(イチョウの樹皮)

銀杏の木は、枝や幹が厚いコルク質でできています。保水性が高いことから、火事などの高温状態になった時には、熱せられた水分が表面に出てくるという性質があるようです。
京都の西本願寺には「水吹き銀杏」と呼ばれる天然記念物の大銀杏がありますが、この木は江戸時代中期の「天明の大火」の際に、火の粉を浴びながらも水を吹き出し、お寺を守ったと言われています。
銀杏は関東大震災の火災でも生き残り、神戸の震災の時も火災の延焼を食い止めました。このような話からも、耐火や防火の特質をもつ銀杏の素晴らしさが解ります。

水吹き銀杏の記事

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(市道の街路樹に残る樹名板)

大火を思い起こすこの季節は、なぜ能代に銀杏が植えられたのかの「元」を思い出させてくれる時です。
昭和27年の市広報には「今年で街路樹が2才になりました」という優しい言葉が記されていました。ようやく還暦を迎えたこの木たちですが、残念なことに、60才を目前にしてブツ切りされてしまいました。銀杏は「公孫樹」とも呼ばれ、お祖父さんの代に植えた木に実がなるのは孫の代になってからと言われています。

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(数年前、還暦前に切られたイチョウ)

銀杏の枝葉には、大火復興の希望を持って木を植えた先人の思いが込められています。息子となる私たちの世代は、その思いの枝葉を切らずに伸ばし、次代の子供たちへと残してあげなければなりません。安全で緑美しい未来の能代のためにも、この木を植えた元を繋いでいきましょう。

                                二ツ井町 緑の景観を考える会 福岡 徹

自然樹形が残る能代の街路樹
(イチョウがイチョウらしい姿をしていてこそ「防火樹」の役目も発揮できる。この木の姿は、今はもうここにはない・能代市日吉町)
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昭和24年2月20日は能代大火のあった日です。
毎年、新聞や市広報などで大火の記事を目にすることはあっても、なぜ能代にイチョウが植えられたのかが語られることはありません。
数年前、行政向けの街路樹勉強会の時、「なぜ能代の街路樹にはイチョウが多いのか?」と聞いたところ、課長級の方々でさえそれを知らなかったことに驚きました。
この時、大火後60年の間に行政にも実体験を持つ人がいなくなり、木を植えた元を知る人がいなくなったこと、その元を繋ぐことをしてこなかったことが、街路樹のブツ切りに繋がったのではないかと思いました。

庭にも公園にも街路樹にも、そこに木を植えることには意味があり理由がある。
読者の方々が、そんなことを少しでも感じてくれたとしたら嬉しいです。
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FUKU
Author: FUKU
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Comment(4)

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紅の葉

山口さんへ

山口さん、こんにちは。

>なぜ、そこに、それはあるのか
能代は世界自然遺産白神山地のふもとの街です。
白神山地といえばブナですが、ブナは漢字で書くと「橅」、「木では無い」と書きます。
こんな木、木では無いと言われて切られてきたのがブナですが、そんな木では無い木がたくさんある山が今、世界遺産になっています。
なぜその山にブナがあるのか、それがわかったから世界人類の遺産だと認められたのでしょうね。
そして、今度は街の木たちが木では無い姿にされてしまいました。
庭誌で以前、「街路樹を世間遺産に」という言葉を見ましたが、そんな制度があれば、全国の街の木ももっと注目され、大事にされるかもしれませんね。

山水に得失なし、得失は人の心にあり

自然の中に美があるのではなく、人の心の中に自然を美と思える心がある。
市には「能代の街路樹を日本一に」と提案していますが、本当は、勲章など付かなくても、身近な自然や樹木の中にも美はあるのだということを伝えていきたいと思っています。

2012/02/28 (Tue) 20:04

山口です

すばらしい日記、ありがとうございます。読んでいて鳥肌が立ちました。
「なぜ、そこに、それはあるのか。」
ヒトツヒトツ全てに意味はあり、先人の想いが詰まっている。
時間というものは恐ろしいものですね、今まで築き上げてきた先人達の歴史が一瞬で無になってしまう。
その防波堤の役に私もなりたいです。もっともっと勉強し、木の大切さや庭、自然の素晴らしさを訴えていきたいです。
ありがとうございました。。

2012/02/27 (Mon) 23:07

紅の葉

しんぼうさんへ

しんぼうさん、この広報の記事は私が生まれる10年も前のものですが、見つけた時は本当に嬉しかったです。
昭和24年といえば戦後間もない頃ですから、戦争の復興の最中にまた新たな災難が来たわけで、よく能代はこんな逆境の中から立ち上がったものだと思います。
そして、そんな中での希望の証が街路樹の成長でもあったのですが、いつのまにか木の成長への楽しみが経済の成長へと変わり、平和な世の中になったら木の存在が忘れられていったという皮肉なことが起ったようです。
木は歴史を見てきた生き証人です。今の私たちは木からどう見られているのか、襟を正さなければと思います。
しんぼうさんからのコメントなこともありますが、戦後の復興や経済成長のことを書いたら、なんだか無性に浜田省吾を聴きたくなりましたね・。

2012/02/26 (Sun) 17:40

しんぼう

本当に広報の言葉がとても優しいですね。イチョウの成長とはうらはらに、住民の意識が悪い方向に『成長』したことがわりました。やはり先人の思いをつなげていくことは大切なことですね。私もその側にいたいと改めて思いました。いい日記ありがとうございました

2012/02/26 (Sun) 13:30