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久喜市街路樹視察団をお迎えして―能代にも緑の条例を 上

本日付の北羽新報に、拙文が掲載されました。

私の意見 上 記事写真 2012 8月 私の意見ー上
                                      (クリックで拡大できます)

今月初めの埼玉県久喜市議団街路樹視察を受け、能代にも緑の条例制定をと呼びかけた寄稿ですが、今回は「私の意見」で紹介されました。

原文を下記にご紹介いたします。

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久喜市街路樹視察団をお迎えして―能代にも緑の条例を 上

8月8日付本紙記事1面にありましたように、このほど、埼玉県久喜市の議員団が来能、市内の街路樹や公園樹を視察されました。
久喜市は全国に先駆けて街路樹管理条例を制定した都市として有名ですが、この条例は、今回訪問された石川忠義市議が中心となり、議員提案によって制定されたものです。
能代市にはこれまで、2007年の市長対談(ランチミーティング)を始め、街路樹展(全国の先進事例を紹介した「街路樹サミット」=緑の景観を考える会主催)などの機会に数回紹介していますので、ご存知の方も多いかと思います。

石川市議とは、この1月、東京や横浜など首都圏の先進地視察を行った際にお会いし、条例と施行の実際についての現地説明をお願いしました。
この時に見た久喜市の街路樹の印象は、電線支障の影響からか整形的な樹形が多いように感じ、能代では自然樹形を保ちながら電線と共生するやり方を試行していること、街路樹の管理樹形には全体を均一に切り詰めずに支障のある側のみを剪定する「街路対応型樹形」という概念があることなどをお話ししていたことが、今回の能代視察へと繋がったようです。


私が視察団をお連れしたのは「けやき公園」ですが、ここには樹齢200年を超える大木が街路樹となって残っています。
明治期に西洋から横浜に伝わった近代街路樹の歴史はまだ100年ほど、これほどの巨木が街路樹となっている所は全国的にも希です。
公園周辺の樹木は、もともとは同じお寺の境内の木でしたが、現在では公園部分(市)と街路樹(県)に分けられて、それぞれに管理者が違います。
そのような実情もまた興味深く、景観の維持には市県国の連携が大切であることをお伝えしたいとの思いで、視察団をこちらにお連れしたのです。
あの、近代街路樹発祥の地の横浜でさえ、それを記した石碑近くの街路樹(国道)はブツ切りです。隣接する街路(市道と国道)の樹形の違いは、市と国の連携不足を如実に表すものでしたが、市県を指導すべき国のやり方がブツ切りであることを情けなく思ったものです。
同様に、市を指導すべき県のレベルが低かった能代では、市側から県に協議を持ちかけ、連携強化に力を注いできました。視察団にはこの点をぜひ見ていただきたいと思ったのです。そして、なによりお伝えしたかったのは、国道を曲げてまでお寺の木を守ったという、能代人の心意気です。

大きな木にも小さかった時代があり、小さな時から愛情を注いできたからこそ今があります。
昔から、木には神が宿ると言われているように、人間は、木を守ることで木から守られてきたという歴史があります。
大きな木や立派な木ばかりを有り難がるのではなく、小さな街路樹にも同じように愛情や慈悲を掛けてあげなければならない。
樹木に対する敬虔な気持ちこそ、緑と人が共生していくための基本姿勢であるということを、このケヤキ公園の大木の下、視察団の方々にお話しさせていただきました。

視察団はとても謙虚で、知ることに対してとても貪欲。久喜市の街路樹条例は全国初ですが、全国初ということは日本一ということであり、日本一になってなお高い問題意識を持ち続け、発展途上の能代にまで学びに来るのです。
能代市議の方々にはぜひ今回の視察を機に久喜市との交流を持たれ、全国一の意欲と姿勢に触れていただきたいと思います。


実は、この視察団をお迎えする直前のこと、市道の街路樹が丸裸にされているのを見掛けました。
真夏に木をブツ切りすることが木にどのような影響を与えるかについては、以前、畠町のプラタナスを例にお話ししていますが、能代ではまだこんなことが起こっているのです。
このような状態の能代に視察団をお迎えしていいものかどうかと非常に悩んだものですが、視察団もまた、自市の条例が実際の街並みに反映されていないことへの危惧を感じていたようでもあり、お互いの課題を話し合う中で、改善策を見つけていけたらよいのではないかと思い直した次第です。


能代市二ツ井町 福岡 徹

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