迷い花
昨日、偶然見たテレビ番組の最後の言葉。
迷うほど考えるから道が開けていくんだね。
迷いが糧になるから花が咲くんだね。
悩むほど考えるから、思いも深まるんだね。
道が開けば、迷いの蕾も花開く。
道無き道は、未知の自分を切り開き、花道へと続いていくのかな。
もう不惑だというのに、迷いも惑いも、まだまだたくさんあるなあ。
蕾多き人生に乾杯です。
ハッケン伝、お笑い芸人の方が京都の老舗庭師に体験入門、お寺の庭づくりを任されるというものでした。そこに必要とされているのは何か、どんな発想や感性でそれを形にするのか、発想や感性、形にできる技術を持つためにはどんな修練が必要なのか、庭師の仕事のそんなことを教えてくれる番組でしたね。
「プロフェッショナル」ついでですが、最近、プロという言葉が気安く使われているように感じています。お金をもらって仕事すればプロなのか、業種の肩書や資格があればプロなのか、これは本当にプロの仕事なのかと、そんなことを思わせるいろんなことに出会います。植木屋の仕事で言えば、街路樹のブツ切りなんかがそうですね。
プロとプロフェッショナルの意味は同じはずですが、プロという言葉には変な安っぼさを感じて、プロフェッショナルには「プロ中のプロ」という印象を持つ。
そこに意識があるか、自分の流儀を持っているかが、プロとプロフェッショナルの境目ということになるのでしょうか。
そんなことを考えさせてくれる、一連の番組でありました。