東日本大震災から2年

東日本大震災から2年目の今日、地震発生の時刻には、テレビの前で黙祷していました。
子供たちの通う小学校でも、その時間には揃って黙祷していたそうです。
あの時何をしていたか、停電や燃料不足の大変さは思い浮かぶけれど、半年も立たないうちに元の生活に戻っていた気がする。
震災の影響で仕事は少なかったものの、さして不自由なく暮らすことができていた。
能代も、重なる大火や日本海中部地震を経験し、その度に再興を繰り返して来た街ですが、原発の福島では、復興はおろか、そこに住むことも出来ない。
昨年に町内会長を受け、地域の防災などを身近に考えるようになったけれど、それも、この地に住んでいられればこそ。
冬は仕事もなく辛抱な暮らしが強いられるのは毎年のこと、すきま風の吹く家でも、家族揃っていられることが幸せだと思う。
何もできないけれど、被災地の復興が早まり、家族で過ごせるようになることを、今日のこの日にあらためて祈ります。

2 Comments

紅の葉  

植吉さんへ

最近、連日のように震災関係の報道を目にします。
地元にも、岩手や福島から避難してきた人がいて、震災当時の話を聞きますが、同じ東北でありながら、実際に被災地を見ていない私には、現実のものとして受け取れていません。
そこで経験した人や、今もそこで暮らしている人にしかわからないものがあると思います。
被害といえるような経験をしていない私が軽々しく口にすることもできず、今でも被災地の方々には、なんと言葉をかけたらいいのかわかりません。
何ができるかといえば、時々スーパーで、岩手や宮城、福島の食材やお酒などを買うぐらいのものです。
先が見えれば頑張る気持ちも湧くと思いますが、それすら今はわからない。
祈ってもどうなるものでもありませんが、それしかできないことを申し訳なく思います。

2013/03/14 (Thu) 21:03 | EDIT | REPLY |   

植吉  

福島を想っていただきありがとうございます。
3.11は現場で、家内と警戒区域から避難して手伝いに来てくれているイトコの奥さんと黙祷しました。
薄く哀しくサイレンが鳴りました。
親戚が三人津波で亡くなりました。
双葉町のお客さんが避難中に亡くなりました。
私たちは、福島や警戒区域を補償を与えて廃棄してしまえばいい、という言説に耐えています。
それが震災後の日常です。
「進歩的良識人」といわれる人ほどそういう言葉の暴力を無自覚に行使しています。
福島県内にもそういう言説に乗って、大切な日常の襞を
つるんとした単純な構図に当てはめようとする隣人がいます。
多くを失った人たちはとてもひっそりと生きています。
私たちは未来を生きている気がします。
私たちは未来に耐えています。
これは日本中どこにでも到来する未来の構造だと思っています。

2013/03/13 (Wed) 23:22 | EDIT | REPLY |   

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