杜の木漏れ日

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笑庭福来

最近のうちの傾向としてあるのが、庭づくりの主役を施主さんにすること。
草取りやかたずけ、草花の移植など、植木屋でなくてもできるところは、出来る限りやっていただく。
植木屋は現場作業にすぐ入ることができ、施主さんは経費が浮く。
力仕事は植木屋がやり、花植えや苔張りなどの仕上げはご家族がやる。
最初と最後はご家族の仕事で、間を植木屋が手伝う。
自分で仕上げると、自分の庭になる。
自分が庭づくりに関わると、庭に愛着が湧く。
そんな仕事が、最近続いている。

この間、作業工程を見ていただいたら、ご家族からこんな言葉が出た。
「なんか、庭師さんに庭をつくってもらうんじゃなくて、庭師さんからアドバイスもらって私たちが庭をつくるみたいね(笑)。」
ハッとした。
バカボンのパパではないが、「これでいいのだ!」と思った。

家は大工さんが建て、そこに住む家族が好みの家具を置き、暮らしや趣味に必要なものを加えていく。
全てが揃っていたら、そこは家ではなくホテルになる。
ホテルは非日常を楽しむ場で、家は日常そのもの。
家はそうだけど、庭はどうだろう。
家と庭があって「家庭」。
家庭の庭も、家と同じでいいのではないかと、最近よく考える。

家は暮らしの場。
庭も暮らしの場なら、完成させるのは家族。
植木屋がすべてを揃えるのではなく、家族が庭を仕上げる。
そんな庭があってもいい。
庭はよく絵に例えられるが、植木屋が額を作り、家族がキャンバスに色付けしていく。
絵を完成させるのは、そこに暮らす家族。
植木屋は、そんな家族のお手伝いをする。
それでいいのではないかと。

つくり手の思いが強過ぎ、完成度の高いものを求め過ぎると、施主さんが窮屈になる時がある。
自分が好きな花や木を植えたいと思っても、植木屋がそれを許さなかったり、自分がお金を出した庭なのに、わがままな植木屋に気を使って我慢したり。
知らずに、自分がそんなわがままな植木屋になっていたこともあった。
そんなせいか、最近は、庭に責任は残しても、思いは残さないようにしている。
それが、植木屋が主役の庭ではなく、施主が主役の庭。

一番大切にしたいのは、庭でご家族が笑っていることだ。
笑う門には福来る。
笑う庭には福来る。
笑顔で暮らせる庭のお手伝いができたら、それでいいのだ。
そんなことを思う今日この頃です。

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