杜の木漏れ日

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おもてなし

先日、知人と茶道や茶庭の話をしていて、出てきたのが「おもてなし」という言葉。
お互い、ダジャレが大好き。
「おもてなしは表無し。表も裏もない、流派や形式を離れた露地(茶庭)もいいね。」という話になり、思い出したのが、白雲洞茶室(箱根・強羅公園)。

20代の頃、流派による露地の作りの違いを知りたくて、全国の茶室を見て歩いた。
その時に行ったのが、近代の三大茶人と言われた、益田鈍翁・原三渓・松永耳庵が関わったというこの茶室。
茶室でお点前を頂戴しながら、
「なぜ、腰掛待合に風呂が付いているのですか?(着物を着て行う茶事で、着物を脱
いで風呂に入り、それから茶を飲むのはなぜ?)、
こちらの蹲踞は何流ですか?
どうして躙り口が無いのですか?
なぜ囲炉裏で茶を点てるのですか?」
そんな若造の疑問に、係の人が一言、「ここは流派を超えた茶室です。自然に抱かれ
た田舎家で、ゆっくりお茶を楽しんでいただくために創られました。」。
形式を覚えたいと思っていたこの時の自分には、流派の作法が無いことが理解できなかった。

15年後、この茶室を再訪することになる。
この頃の自分は、秋田の素材で京風の庭を作っているだけではないのかと、自身の庭づくりに疑問を感じていた。
有難いことに、露地をいくつか作らせていただき、蹲踞や飛石を一般の庭にも取り入れてきた中で涌き出ててきた疑問。
そんな自分の目に、この庭は、若いころに見た時とは全く違うものに映った。

大きな岩を避けるように、山道を茶室まで登っていく。
露頭した岩盤も道になり、道伝いに流れる岩清水を渡る。
自然の地形をそのまま利用しているから、庭というよりは山。
作ろうと思っても作れない景色がそこにあった。

この景色の中に、数寄屋も露地も流派も要らないと思った。
昔と同じように一服ごちそうになり、「これでいいんだ」、と思えた。
腰掛で風呂に入っても、躙り口が無くても、蹲踞がどんな形でもいいじゃないか。
蹲踞が無かったら、湧き水をすくって使えばいい。
それが客に申しわけなかったら、フキの葉の柄杓を添えておけばいい。
そんな茶があってもいいだろう。

茶庭づくりで一番大切なのは亭主の茶道観と言われる。
客人のもてなし方は人それぞれで、いろんな一座建立があってもいい。
私に、とらわれない心を教えてくれた、そんな茶室です。

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