杜の木漏れ日

ARTICLE PAGE

造園の資格

昔、専門誌に掲載された作庭者の座談会で、「技能検定百害あって一利なし」という記事があった。
賛否両論あって物議をかもしたが、先日、知人と話していて、今はどうなんだろうという話になった。

技能検定とは、厚生労働省が認可する造園技能士の資格試験のことで、レベルに応じて、一級から3級まである。
国家資格だけど、免許ではないから、この資格が無くても植木屋をやるのに特に問題はない。

百害があるかどうかはわからないが、一利があるから資格取得を目指す人がいるのだろう。
資格を目指すことや等級を上げることで仕事のモチベーションが上がったり、資格を持つことが職人としての励みになる人もいるだろう。
資格を信用として営業に活かそうとする人や、この資格を取って公共工事に参入しようとする人たちにとっては、それこそ実利に結びつく。
公共では、資格保持者を有することが企業の実績として評価され、そうした会社では、資格を持つ人を優遇して採用する。
だから、会社員としてこの仕事に携わる人にとっては、取っておきたい資格になるのかもしれない。

反面、普段から向上心を持ち、日々の仕事の中で自発的に腕を磨いている人には、特段、魅力ある資格には映らないかもしれない。
施主に、わざわざ資格を持っていることを示さなくても、実際の仕事を見てもらうほうが説得力もあり、信用してもらえることも確かだ。
技能士は職人の資格なんだけど、必要としない職人もいるのは、こうしたこともあるのかもしれない。
必要な人には利があるが、必要としない人には全く利がない。


一利の利は利益、利得だと思うが、この利に理があるかというと話は別で、技能検定に疑義を感じることは確かにある。
たとえば、造園技能士の実技検定にある蹲踞や飛石。
以前、検定員の方と話をした時、「日本庭園の伝統技術を残していくためにもこの資格は必要」と話されていた。
しかし、実際の仕事でつくる機会はあまりにも少ない。
資格を取っても、一生現場で作ることなく終わる人もいるだろう。
庭が多様化してきている現代、これからはますますそうした機会は減る。
だからこそ残さなければならないということなのかもしれないが、必要とされないものはやがて廃れる。
作る機会の無いものを、試験の時にだけ練習することにどんな意味があるのかと思う。

蹲踞や飛石は、茶事の席入りに必要とされて、露地(茶室の庭)で発生し、発展した。
茶に使うものだから、茶に使うのが本来。
蹲踞や飛石は、本来の茶の世界の中で生きていけばいい。
使わない物を、無理して一般の庭に持ち込まなくとも、茶の世界に返してあげたらどうかと思う。
茶人が露地を必要とし、露地を仕事とする庭師がいれば、その技術はそこで受け継がれ、残っていく。
露地の技術は、露地をやる気のある人の中で残していけばいい。
それでいいのではないかと思う。

この資格が必要とされる公共工事で、蹲踞や飛石の仕事が発注される機会はめったに無い。
二級技能士の実技検定には四ツ目垣(竹垣)もあるが、発注されるとしてもせいぜいそのぐらい。
しかし、秋田には竹が自生しない。
無い物を取り寄せてまで作り、それを試験課題とすることにも疑問を感じている。
地方には地方の良さがあり、画一化する必要は無い。
ガーデニングやイングリッシュガーデンを専門として庭をつくる人には、まったくもって関係ない。
日本庭園をやらなければ造園の技能士ではないというのもおかしな話。
全国共通の国の試験なら、一部でしか使わない技術より、今の日本に本当に必要とされている技術を審査するべきだと思う。
木を知っているはずの造園技能士が全国の街路樹をぶった切っている時代、技術審査より必要なのは、植木屋としての資質の審査ではないかとも思う。
先にあげた座談会では、試験課題に作文を加えて、植木屋の心構えや志を書かせればいいという意見もあった。
これには私も賛成で、そんなことも考えてみてはどうでしょうと、二級技能士しか持たない私が、生意気にも一級の検定員に意見したこともあった。

国家資格ということで、内容を知らない田舎の自治体などでは、無条件に信用する所もある。
以前、能代の街路樹がブツ切りになっている現状について市に改善を提案した時、「業者の実際の技術力を審査しているか」と訊いた。
適正資格を持つ業者に委託しているという答えだった。
公共造園工事に参入する際、行政が参入要件としている一般的な資格には、造園技能士と造園施工管理技士(国土交通省)の二つがある。
この時の提案では、「ブツ切りに技術は不要。なぜ、造園の専門資格を持つ業者が剪定をして、素人でもできるブツ切りをするのか?資格の検定試験に剪定実技が無いことを知っているか?」と聞くと、役所はこのことを知らなかった。

その後、市がブツ切りを見直し、自然樹形管理へと方針転換する際、担当者から「街路樹剪定に技能士資格は要るか?」との相談を受けたことがある。
同席した業者で、「不要」と「必要」に分かれた。
不要派の私の言い分は、「有資格者が剪定してブツ切りにしていたのだから、そんな資格には意味が無い。国家資格だろうと県の指導だろうが、現場で役に立たないものは要らない。県国道がブツ切りになっている状態で、国の資格も県の指導も無い。県や国に左右されない独自の仕様を作ればいい。」と話した。
専門知識を持たない役所の都合に左右される資格に、資格の効力も価値も無いから。

街路樹と言えば、数年前、ある会合で同席した大学教授に、全国の惨状について訊いたことがある。
街路樹剪定士の資格策定に関わる方だった。
「君は、街路樹剪定士を持っているか?それがあれば大丈夫だよ。」と言われていた。
先生、ではなぜ、全国の街路樹はブツ切りになっているのですか?
街路樹剪定士が全国にいて、なぜこんなにもブツ切りが多いのでしょう?
答えは無かった。

樹木医はどうか。
樹木医を教える樹木医の先生は、ブツ切りを容認していない。
しかし、樹木医資格を持つ造園業者の中には、役所の指示とあらばブツ切りをする人もいるようだ。
樹木医ではなく、造園業者の立場で切っているのかもしれないが、そんな話を聞くにつけ、資格の存在意義に疑問を持ってしまう。
立場を使い分けていたら、樹木医の価値も下がってしまうのではないか。
業者の立場で役所の顔色をうかがうのではなく、木の医者として、専門資格を持つ者として、毅然と役所に提案していけばいい。
そんな人が増えていけば、日本の緑はもっとよくなるはずだ。

技能士の話に戻るが、技能検定は設計通りに作ることを求められる。
与えられた図面や仕様に、正確かつ忠実に作る技術を審査する。
技能士と職人が同じなのかわからないが、職人に必要なのは、人から言われたことをその通りにやることではなく、自らの創意と工夫でモノを生み出すことだと思っている。
私は、作る人より、創る側の人でいたい。

資格に百害があるかといえばわからない。
しかし、弊害は確かに存在する。
資格が必要な人は資格を取ればいい。
資格があることは否定しないが、それが植木屋を評価するすべてになることは否定する。
資格を信用として仕事を取り、施主を泣かせるような仕事をする技能士も否定する。
仕事欲しさに、役所の言いなりになる技能士も否定する。
「資格」を辞書引きすると、「あることを行うのにふさわしい地位や立場。 あることを行うために必要とされる条件。」と出てくる。
資格とは、資質の格を表すものであってほしい。
業界の資格も、本当に必要なことを審査する、ふさわしいものになってほしいと思う。

Comments 0

Leave a reply