杜の木漏れ日

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国道を曲げて残したお寺の木(けやき公園の街路樹)

下記の文は、以前に全国紙で紹介された、能代市のけやき公園の由来です。

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「秋田県の能代市に行った。米代川の河口に広がる、日本海に面した都市だ。気温4度、風もなく、時々薄日がさす穏やかな日だった。
▼先日、品川の桜が区画整理のために伐採された話を書いた。すると、能代の読者から手紙をいただいた。「少し昔のことですが、当地でも、やはり区画整理で古いケヤキが切られることになりました。しかし市や住民が検討を重ねて保存され、いま、付近は市民の憩いの場になっています。」。ケヤキの芽吹く頃にでもお訪ねを、とあったが、どうしても見たくなった。
▼市の中心部、繁華街と市役所に挟まれた場所が、その「けやき公園」だった。縦80m、横60mの敷地にケヤキ36本、松が7本、イチョウ6本など。ケヤキの1本は樹齢300年を超え、幹の周りが6.5mもある。隣接する国道の歩道には併せて8本のケヤキとイチョウ、それぞれの根元には特殊なコンクリートが使われていて、水を通すよう心が配られている。
▼ここには由緒ある寺があったが、11年前に区画整理で移転した。国道を拡幅するために少なくとも7,8本の木を切らなければいけなくなった。跡地を駐車場や商業ビルにする話も出た。寺は木を残すよう要望した。住民も後押しした。戦後2回の大火の時、近くまで火が迫ったのに、寺は被災を免れた。ケヤキが火の粉から守ってくれたからだという。設計は変更された。木々は残った。
▼けやき公園に立つ。この季節。松以外は葉を落としているが、どの木もどっしりと大地に根を下ろしていて、頼もしい。何ともいえぬ安心感に包まれる。公園に沿って国道の歩道を歩く。一直線に続く黄色の点字ブロックが、先の方で折れ曲がっている。けやきを残すために。通路が曲がっているのだ。
▼黄色の列の[屈折]に、能代の人たちの木々への思いが象徴されている。」(朝日新聞 天声人語より)

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けやき公園ルート1 (1) 
写真1

記事の文末に、「一直線に続く黄色の点字ブロックが、先の方で折れ曲がっている。」とありますが、写真の黄色い線が、その折れ曲がり部分です。
赤線は、手前の歩道の右端部分と、先方の歩道の右端部分を繋いだものですが、国道は本来、このラインで建設予定だったものと思われ、予定通りに建設されれば、現存する大木の街路樹は、ほとんどが伐採されていたことになります。

けやき公園ルート1 (2)
写真2

写真の青線部分は道路の路肩のラインですが、このラインのふくらみが、大木たちを避けて道を通しているということを示しています。

けやき公園枝切り記事


そして昨年6月、昨夏に運行された大型七夕の支障になるとして、この大ケヤキたちの枝が大幅に切り詰められました。
写真2には緑線が2本ありますが、右側の線が切られる前の枝張りです。
ケヤキの枝は4車線道路の中央線付近まで張り出していましたが、一車線分以上の長さの枝が切り詰められたことになります。
おそらく、道路をふくらませた分ぐらいの枝が切られたことになるでしょう。
扇状に枝を広げるケヤキが、生垣のように真っ直ぐに切り揃えられました。

けやき公園看板

けやき公園内にある看板です。
お寺は昭和63年に移転、公園は平成5年に共用とあります。
ということは、この公園が整備されてから、昨年でちょうど20年ということです。
人間がものごとを忘れずにいられるのはだいたい30年程度という話を聞いたことがありますが、まだ三分の一の年月を残して、能代はなぜお寺の木を残したのかということを忘れてしまったようです。

けやき公園看板2

公園にはもう一つ看板がありますが、このお寺跡の木は、樹齢にして300年以上と記されています。
街のど真ん中に、樹齢300年以上の木が10本近くも街路樹となって残っている所を、私はまだ見たことがありません。
2月は能代大火のあった月ですが、大火の際は、このお寺の木の前で火が止まったとのこと。
身を持って街を守った木だからこそ、当時の能代市民は、この木を残そうとしたのでしょう。

お寺や神社の木など、もともとそこにあった古い木が道路に残されたものを、「路傍樹」というそうです。
大木には神が宿るといいますが、お寺や神社の木は災害から地域を守り、そこに住む人々を長く見守ってきた、土地の歴史を語り継ぐ生き証人でもあります。

20年後、また忘れていないように、この木たちが残された由来を、どこかに記しておけたらと思います。



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