杜の木漏れ日

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街路樹は何のために

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今朝の地元紙1面に、「街路樹は何のために」との大見出しで、街路樹問題に関するレポートがありました。記事には私の発言もありますが、取材の申し込みの際、記者さんには、畠町の街路樹伐採は昨年から始まっていたことで、今年また切られたからと言って、今さら反対の記事にしてはいけない。市民がこれからの街路樹を考えるための、今後に繋がる記事にしてほしいと話し、全面協力しました。

「街路樹は何のために植え、なぜそこにその木があるのか」。
その元を、行政も市民も忘れてしまったことが、街路樹の苦情を増やし、市県国道の木のブツ切りを招きました。これから木を植えるにしても、今ある木を管理していくにしろ、その元を残していかなければ、また同じことが起こります。
記事中の私の発言では、「緑の専門職員の配置、景観条例の制定、住民の意識啓発が大切」としていますが、なぜ街に木を植えたのかの「元」を知り、その元を活かし、元を伝えていくためのことをしていけば、街の緑は必ず良くなります。
能代市緑の基本計画の基本理念は「緑の価値に気付き、守り、活かす」。基本計画は、市・県・国の枠を超え、市内全域の緑を考えていくというものです。しかし現実は、「縦割り行政」そのままに、その枠を超えることが難しく、県も市も、庁内の枠を超えることすらできないでいます。そして、中にいる人たちは、それを超えることを好まない。これでは、良くなるものも良くならないのです。
街路樹の管理者には、自らが管理する緑の役割を伝える責務があります。それをすることにより、市民に理解が広がり、ふるさとの街路樹を大切にしよう、という思いが育まれます。それでも、苦情は起こるでしょう。でも、そんな中でも、どうしたら人と木が共生できるのか、どうしたら、この街の木を木らしい姿で存在させ、木の役割を果たさせてあげることができるのか、それを一生懸命考えるのが、木を植えた者としての責任なのです。
街路樹は、その街の顔であり、その街に住む人の心を映す鏡です。畠町の街路樹は、伐採されて、ただ捨てられ、焼かれてしまいます。そして、来年も木たちは切られる。大火復興のために植えられたこの木たちに対して、私たち市民にできることは何でしょう。
畠町の街路樹は県管理ですが、こうしたことは市道の街路樹や公園でも起こり得ることです。市民のために植えられた木が、市民生活の安全や利便のために切られるのは仕方のないことです。しかし、そうした木たちに、慈しみの心を向け、街に活かしてあげることもできるのではないか。それが、気遣いの街、木都能代の気概ではないのかと感じています。
切られた木と、今そこで生きる木。
そうした木々に対して、私たちにできることは何なのか。能代市民として、考えていきたいことです。

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Comments 2

紅の葉  

leafさんへ

leafさん、街路樹は、人が快適に暮らすためにあります。
市民全員がそう思えるようになれば、街路樹も幸せになれます。
人も木も幸せに。
そうなれたらいいなと思います^^。

2014/07/18 (Fri) 22:18 | EDIT | REPLY |   

leaf  

同感です。

2014/07/17 (Thu) 22:23 | EDIT | REPLY |   

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