杜の木漏れ日

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木を植える者の責務

必要として植えられた木が切られてしまうこと。
意味や役割を持って植えられた木たちが、いつのまにかその存在さえも忘れられ、切られてしまう。

木の存在を意識するのが、落ち葉や虫が付いた時だけというのも悲しい。
葉が落ちるのは、木のせいなのか。
虫が付くのも、木のせいなのか。
木は、自分では動けない。
木は、痛くても、声をあげることもできない。
そんな木を植えたのは人間。
そんな人間の都合で、木が切られていく。

住民の苦情だから、木を切ると言う。
木を植えたのは、住民ではない。
木の持ち主もまた、住民ではない。
木のために何もしてこなかったことを、住民のせいにしてはいけない。
木を植えることに意味があるように、木を植える側には、木を守り育てる責任がある。
それを自覚できないなら、木を植えるべきではない。
木を命と思える感覚が無ければ、木を植えてはいけない。

木を植えるということは、命を植えること。
思いがあるから、命を植える。
思いで木を植えたら、思いを繋いでいかなければならない。
それが、木を植える者の責務です。

Comments 2

紅の葉  

wilmslow さんへ

wilmslowさん、ご訪問ありがとうございます。
独り言のような記事に共感下さり、とても嬉しく思っています。
この記事は、街路樹や公園樹など、人々から思いを持ってもらえない悲しい公共木について書いたものですが、地元でもそうしたことが起こりつつあり、何とかできないものかという切ない胸のうちを書きました。
こうしたことは、地元ばかりでなく日本全国で起こっていることですが、今冬は東京都国立市で、桜の街路樹伐採について、市民が保存活動を始めたということがありました。
また、ついこの間は、ベトナムで街路樹が伐採され、市民が「街路樹はハノイの誇りだ!」と反対運動を起こしたという記事を目にしました。
ふるさとの街の木を誇りに思い、愛情を注ぐ人たちがいることをとても心強く思うとともに、こうしたことが市民に周知されず、住民の苦情や行政側の都合で切ってしまうことには大きな疑問を抱きます。
街の緑をどうしていくかのビジョンを持つことと、市民と議論をすること、協働で緑のまちづくりを行うこと、そんなふうになっていけばいいなあと思っています。

wilmslow さんは、アメリカにお住まいなんですね。
「植物アムネスティ」、初めて聞く言葉ですが、とても興味あります。
海外には、緑や景観保全に関する取り組みや法令など、先進事例がたくさんあると聞きます。
もし、そうした事例などをご存知でしたら、教えていただけないでしょうか。
これをご縁に、どうぞよろしくお願いいたします。





2015/04/23 (Thu) 06:30 | EDIT | REPLY |   

wilmslow  

はじめまして。
ものすごく同感しました!
ホームページに偶然辿りつき、そしてブログを読ませていただきました。

私はアメリカ、ワシントン州に住んでいますが、こちらは植物アムネスティという団体もあるほど、木への思い入れが強い土地です。

本日はあまりにもこのブログ記事に共感したためにコメントを残させていただきました。
お仕事がんばってください!

2015/04/21 (Tue) 13:11 | EDIT | REPLY |   

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