人がいる庭 人の気配がする庭

人の気配がする庭が好きです。
庭にベンチやテラスがあると、そこで人が暮らしてるんだという感じがして、安心します。
生活感のある庭は、人がいない時でも、人の暮らしが息づいているという気配が感じられていいですね。

ここに人が入ると、こんな感じになります。
景色として見ていた庭に人が入ると、なんだか暖かい感じがするというか、空気が変わるような感じがしますね。
この庭、何か足りないなぁ。あっ、人が居ないんだ!なんて。
人も庭の素材というのもヘンですが、人が庭を引き立て、人が入ってはじめて完成するという庭もあってもいいんじゃないかと。
人が庭の素材というよりも、人が主役の庭ですね。
ちなみに、この庭の主役になっているのは、うちの家族です(笑)。
いろんな庭の写真を見ますが、人が写っている写真を見ることは稀です。
私も写真を撮る時は、庭の姿をちゃんと見せたいという欲が働くので、あまり庭に人がいる写真は撮りませんでした。
というよりも避けていました。
作り手の立場で庭を撮ると、どうしてもそうなりますね。

こちらの庭は3年前に作らせていただいた庭です。
家の中からは庭が見えないので、それならば、庭を縁側にしてみよう!、この柿の木の下に、ご家族やご近所の方が集える場所をつくろう!と思ってつくった庭でした。

水鉢は昔の石臼ですが、こんな風に使うと、庭で過ごす時間が楽しくなりますね。

庭の奥には大きな栗の木があるのですが、そこには、こんなベンチもあります。
ただそこにあった木の幹を横にしただけのベンチですが、ここで、落ち葉の焚き火をします。
大きな栗の木は心地いい木陰を作ってくれますので、夏はここが一番涼しい場所です。
完成後、妻子を連れてこちらの庭にお邪魔したのですが、その時、庭で遊ぶ子供たちの写真を撮りました。
後で何気なくその写真を見たら、「人がいる庭って、なんだかいいなぁ!」と、しみじみと思ったのです。
こんな風に感じたのは、初めてのことでした。
この庭をつくってから、庭に対する考えが変わりました。
技術的に完成度の高い庭は作り手の満足度は得られますが、そこに住む家族はそれを必要としているか。
作り手として見せたい庭ではなく、そこに住まれるご家族が暮らすための庭を作らなければと思ったのです。
いくら魂こめて庭を作っても、作り手は庭を作ればそこから居なくなりますが、家族はそこで毎日暮らします。
住まいの庭は、作庭者の作品ではなく、家族が生活の中で過ごす所。
庭は芸術でもアートでもなく、人の暮らしの中に自然にあるものではないか。
作庭者の自己表現だけの場ではあってはならないと自戒しました。
家族がずっと暮らし続ける庭をつくらなければと思います。
こちらの庭は、そんなことを私に思わせてくれた庭でした。
そんなことを思わせてくれた、うちの家族にも感謝ですね(笑)。

※この庭の様子はHPでもご覧いただけます。
コチラです。
http://www.shirakami.or.jp/~niwaya/05-kaki.htm
作庭日記はコチラ(ちょっとスクロールすると、「柿の木の下で」という記事が出てきます)http://www.shirakami.or.jp/~niwaya/06-niwakagami.htm