杜の木漏れ日

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公共建築の植栽設計と管理のあり方に思う(県立美術館のケヤキから)

県立美術館 (2)

今日は所用で秋田市まで。
用事が早く終わったので、県立美術館に寄ってみました。

県立美術館 (9)

こちらは平成25年の開館ですが、建築設計は国内外で活躍する安藤忠雄氏によるもの。
浅く水を張った水庭と千秋公園の緑がとても印象的で、このラウンジでお茶をいただくのが来館の大きな楽しみです。

県立美2014.5.4

こちらは、昨年5月に子どもたちと来た時の写真。
上の写真と同じ席から撮ったものですが、建物前に植えられたケヤキと、お堀の向こうにある県民会館前のケヤキ、そのまた向こうにある千秋公園のケヤキが共に水庭に映り込み、近景、中景、遠景のケヤキがこの水鏡の中でひとつになっています。
これを計算しての水庭なのだろうと、建築家の設計力と想像力の素晴らしさに感動を覚えたものです。

県立美2

でも今回は、昨年見た時と少し違っていました。
写真ではわかりづらいかもしれませんが、水庭の向こうに顔を出していた建物前のケヤキが見えなくなっているのです。
もしかしたら、ケヤキはこの水庭よりも低く維持するのが設計のイメージかもしれないと思い、こちらを管理する秋田県に伺ってみたところ、やはりそうしたコンセプトであるとのことでした。

県立美術館 (3)

側面から見てみると、やはり、ケヤキは水面よりも低く剪定されています。

➀2014 12 24

写真は、昨年12月末に美術館前を通った時のものですが、樹冠がほぼ水平に剪定されていました。

県立美術館 (6)

1階から見たケヤキの姿。
ケヤキは、剪定の度合いが強いと新芽がヤナギのように垂れ下がります。

③自然樹形とk利込みの比較 

写真は二ツ井町の県道のケヤキですが、数年前、この美術館のケヤキとほぼ同じやり方で剪定されました。
この時は右側のみが剪定されましたが、ブツ切りと自然樹形(左)の対比がよくわかります。
右と左のケヤキ、どちらが美しいのかは、姿を見れば歴然としています。

④剪定後

上の街路樹の数か月後。
不適切な位置で切り、限度を越えた切り方をしたため、徒長枝が大量発生、ヤナギのように垂れ下がりました。

PA140033.jpg(江戸川区のケヤキ並木)

ケヤキは自然樹形が美しい樹木。
その自然性を尊重せず、木の生理に反する剪定を行えば樹形を乱します。
街路樹など、大きくなったケヤキの更新として大幅に切り詰めている例はよく見かけますが、竣工後3年にも満たない新植の木にこうした剪定を行っているのはあまり見たことがありません。

県立美術館 (7)

一階の側面から。
ケヤキは、1m以上土盛りした所に植えられていますが、地盤を高めて植えて、伸びてきたから上部を切り詰めるというのも、なんだか矛盾しているように思います。
土盛りしたのは、サツキの寄せ植えに高低のボリュームを持たせたかったのだと思いますが、これはいいとしても、高木となるケヤキを一階の高さで抑えるということに無理があります。
毎年同じ位置で切り詰めれば、街路樹のようにコブができ、枝ぶりも荒れて、ケヤキらしい樹形は損なわれていきます。
ケヤキらしさが失われるような樹形になれば、なんのためにケヤキを植えたのかがわからなくなる。
こうした剪定を行うと毎年の剪定を余儀なくされ、維持管理にも予算が掛かっていきます。
県立の建物であれば、それは県税でまかなわれることになるのでしょう。
景観を損なうばかりか、樹木に負担をかけ、そうした維持管理に税金が使われていくことは、あまりいいことではありません。

東京国際フォーラム

数年前に訪れた東京国際フォーラムの広場です。
ケヤキと現代建築との調和で思い出すのが、こちらの景観。
ケヤキの特性を最大限に活かし、樹高を高く枝張りを広く、真夏の東京に大きな木陰を創り出しています。
まさに都会のオアシスとでも言うべき、潤いある緑の空間です。

県美広場

美術館の前も広場になっていますが、この程度の樹高や枝張りでは、十分な木陰はできません。
広く使えるスペースはイベント等には便利ですが、炎天下の夏場はやはり暑い。
せっかく木蔭を作れる木を植えていて、それができないのはとても残念な気がします。

県立美術館 (9)

窓からの眺めを再掲。
あらためて見てみると、もしかしたら設計者は、水庭の水面と建物下のお堀の水面を同一化させ、一つの湖のような雰囲気にしたかったのかもしれません。

コンセプトのイメージ

イメージを図にしてみました。
そのように捉えると、ケヤキが水面の途中から出ている(生えている)のは不自然ということになります。

県立美術館 (2)

建物前のケヤキはあくまで、美術館前面を修景するだけのもので、水庭には必要の無いものなのでしょう。
そうしたコンセプトであれば、樹種選択の段階で高木となるケヤキを選ぶべきではなく、自然状態で放任しても1階の屋根を越えないような樹種が望ましいように思います。
大きくなっても5~6m程度の木か、剪定しても自然味を失わない株立などでもいいのかと。

美術館は美的な展示を行う所。
枝の荒れた樹木を表に見せるのは、あまりふさわしくないように思います。

ケヤキの大きさ

木々は成長するもので、年数がいけば成長限界に達し、それ以上は大きくなりません。
写真は能代市で行われる大型七灯籠の運行ですが、この灯籠は高さ24m程度あります。
左側は樹齢300年を超える公園のケヤキですが、灯籠と比較すると、このケヤキの森が20m以上の樹高があることがわかります。
こうした高木となる木を剪定だけで維持すしようとすると、景観上や木の生理上、大きな無理が掛かってきます。

コンセプト改修案
コンセプト改修案 (2)

コンセプトを維持するのであれば樹種変更が求められると思いますが、水庭とお堀を同一の水面と見るのではなく、水庭を滝の上部、お堀を滝つぼのように捉え、段違いの水面と見立てれば、このケヤキを切り詰めずに、水庭下から枝葉を出すことの必然性が生れます。
もし、このままここでケヤキを活かすとすれば、木をもっと大きくし、幹越しに向こうの景色が見えるようにしたらどうでしょう。
視線を遮る枝葉は枝抜き剪定により視界を保ち、森の中の滝の雰囲気をイメージする。
そんなことでもいいように思います。

いづれにしろ、この状態で良好な緑の景観を保ち続けることは難しい。
将来を見据えて、コンセプトの変更や管理方法の検討を行うことが必要ではないかと思いました。


樹木には本来、剪定は不要。
木は剪定されなくても生きていけますし、その方が本来の樹形になる。
街路樹など、狭い空間で制限を受けるものは仕方のないものがありますが、このような広い所で、植え付け数年の若木に制限を持たせる必要はないと思っています。
樹木に規制を強いることで美的な空間を維持するということには、あまり賛成できません。
美術芸術は文化。
文化の維持にはお金がかかるかもしれませんが、無駄な経費を掛けないような知恵や工夫も大切で、それもまた文化。


公共施設に付随する緑地では、こうした、樹木の成長や維持管理面が考慮されず、あまり良くなれないケースをよく見かけます。
この間ブログで書いた植栽支柱もそうですが、公共工事ではなぜこのようなことが起こるのか。

こうした事態を防ぐために大切なことは、樹種選択や植栽方法、今後の管理などについて、設計時に樹木の成長を熟知する緑の専門家をの意見を聞くことです。
建築家のイメージだけで進めずに、造園家のアドバイスを受けること。
設計者が樹木の生長にまで考えが及んでいないような時は、発注者である行政がそれを指摘し、調整していくことが大切だと思っています。

建物は建った時が完成ですが、緑は植えた時からが始まり.。
緑地を含めて建築設計を行う方々や施工管理を発注する行政には、樹木は成長する命であること、その自然性を尊重しなければ良くなれないことなどを意識していただきたいと思います。
今回のケヤキの有り様を見て、そのように感じました。


※参考 
こちらに、樹木学等の専門家、桜井尚武氏(元日大教授)が執筆された「都市の樹林、公園林、街路樹から学ぶ環境保全」という記事があり,ます。
記事中の「樹木の形」という項でケヤキのことに触れており、
『 樹木にはその種特有の樹形があり、広い公園では、その樹種が持つ本来の樹形を発達させて、遠目にも識別できる標本木とすることを心掛けて欲しい。大きく出来ない場所に、大きく育つ樹木を植えるのは賢い方法とは言えない。大きな木が枝を広げていい場所と、大きくなっては困る場所とを分けて樹種の選択をして欲しい。植え付け条件をよく考えず闇雲に植えれば、後で面倒になるのは覚悟しなければならない。』
とあります。
また、「公園・樹林地の価値」という項では
『できる限りその場所に本来あった樹種、しかも身近に普通にあって私たちの環境維持に役立ってきた樹種を使って欲しい。樹形をいじり過ぎて傷害樹にするのでなく、その種特有の自然樹形を見せるような管理をして欲しい。』
とあります。
植栽設計や管理を行う場合に、とても大切なことだと思いました。

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