杜の木漏れ日

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おたがいさまとおかげさま

なかなか雪の積もらない冬。
それでも冬が来ないということはなくて、昨日は久しぶりに屋根を滑り落ちる雪の音で目が覚めた。
この目覚ましが、除雪車の機械音になると、本当の冬。
大きな機械で払われた雪は、家々の前に山のように連なる。
大急ぎで起きて、自分の家の前の雪を寄せて、ついでに、両隣やお向さんの雪も少し寄せる。
寝坊した時などは、ご近所さんが自分の家の前の雪を寄せてくれている時もあるから、先に起きた時は、そうしている。

都会の人が見るとお節介のように見えるかもしれないが、雪かきはお互い様。
これが地域の親交でもあるから、お節介ではなく「お雪交い」。
生まれた時からそうだから、それが普通だと思っている。

こんなことを思い出した。
ある大雪の年、仕事で庭の雪寄せを頼まれた。
現場に行くと、屋根の雪止めが壊れて、隣の庭にまで雪が雪崩れ込んでいた。
隣との間には特に塀も無く、どこまでがこっちの敷地なのかよくわからない。
とりあえず雪を寄せると、雪の下からブロック塀が出てきた。
ここが隣同士を隔てる境。
地際まで掘り下げてみると、ブロック塀は意外に低くて、子供でもまたげる高さだった。
ブロック塀は「隔てる」役目ではなく、ただの、敷地の境を示す印だった。
雪崩れた雪を寄せるには、隣の敷地に入らなければならない。
その許可をいただきに行くと、こっちの家の雪もそっちに行くかもしれないし、雪はいづれ融けるからそのままでいいと言う。
街中のお宅だったが、ここにも「お互い様」の意識があり、「お雪交い」ができている所なんだなと思った。

雪崩れた雪の山が無くなると、急に視界が開けてくる。
ブロック塀はずっと奥まで続いていて、塀の両側には柿の木があった。
家の人に訊くと、とても美味しい実がなって、隣同士でお裾分けし合うそうだ。
柿の実は、境を越えて、隣同士の心を繋ぐ架け橋になっていた。
雪が境界を越えるように、秋には、お互いの柿の木の葉もまた、境を越えて行き交っているだろう。
そんなことが、ここでは日常となっていて、それが普通のことのようだった。
お雪交いは「落ち葉交い」でもあり、「実交い」でもあった。
こんな心の交流を見て、気持ちが温かくなったことを思い出した。


◇ 『雪かきも落ち葉そうじもおたがいさま。木蔭で涼めたらおかげさま』
これは、リニューアル前のブログに付けていたサブテーマだったが、実は、この2本の柿の木の話を集約したものだった。
ここでは、隣り合う家の両方に柿の木があったが、「木」が2本あれば『林』で、その隣にも木があれば『森』。
街なかには、庭の木もあれば公園の木もあり、街路樹もある。
公私の木の混合が、『まち』という『森』。
この森の木に、『おたがいさま』と『おかげさま』の心が根付けば、森はやさしさの行き交う美しい緑になる。
街の緑は人のためにあり、そこに私と公の垣根は要らない。
同じ街なかにある木に、市町村や国県の垣根も必要ない。
垣根は隔てるものではなく、行き交う所。

『まち』は『みんなの庭』だ。
私と私、公と公が互いに思い合い、公が私を思うように、私も公を思えればいい。
この垣根を越える心が、『おたがいさまとお蔭さま』。
そんなことを思った、白い雪の朝。

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市管理の公園と県管理の街路樹の枝が互いに境を越えて伸び、人もその境に関係なく行き交う姿(能代市けやき公園)

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