杜の木漏れ日

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「木の側に立つ」ということ

先日、地元紙に『冬だから行う木の剪定』という広告を出しました。
ありがたいことにお問い合わせをいただいて、お庭の下見に。

「ここで切ってあげれば切り口が早くふさがって枝も腐りません」
「お隣に出た枝を短くする分、空いた空間に伸ばしてあげれば木も楽できます」
「木同士が『おしくらまんじゅう』をしているので、少し息継ぎをさせてあげましょう」
「この木は気が弱いので、強い木に空間を譲ってもらいましょう」
「この木はとてものびのびとしているので、切らずにあげましょう」
「徒長枝も木が養分をつくるために出している枝。木が元気になるまで残してあげましょう」

1本1本の木を見ながらそんな話をしていると、
「あなたは木の側に立って話をするのね。そんな思いで木を見たことが無かった。」
そんな言葉をいただきました。

自分の中では「木の側に立つ」ということをそんなに意識していませんが、これは、植木屋にとっては最高の褒め言葉です。
植木屋だから、いつも木の側に立って手を入れて、木の側に立った話をしますが、これは、植木屋にしかできないことで、植木屋だからできることです。
植えた木の1本1本に植えた人の思いがこもっていて、庭の木も公園の木も街路樹も、木がそこにいることには意味がある。
だから、どうしたらここでこの木を生かせるかを考えて、その上で、人との共生を考えます。
植木屋さんも様々でいろんな考え方がありますが、これが、自分にとっての「植木屋の仕事」。

HPに、母校の高校生向けに書いた「植木屋という生き方」というエッセイがありますが、そこに、「木は切られたいとは思っていない」ということを書いています。
尊敬する茶庭師の方からいただいた言葉ですが、切られたくない木の枝を切るのが「剪定」です。
時々、剪定の講習会に呼ばれて行って真っ先に話すのが、「本来、樹木に剪定は必要無い」ということ。
山の木がそうであるように、木は、切らなくても生きていけますし、木も、人が手を入れない方が自分らしく生きられます。
山の中と庭の中が違うのは、山の木同志がバランスを取りながら共存していることに対し、人が植える庭の木はそんなバランスになっていないことも時々あって、限られた空間で庭の木同士が生きていきやすいように調整してあげることが「剪定」の役割でもあります。

木が庭で生きやすい状況をつくってあげるということは、木の側に立たなければできないこと。
無意識で話したことでしたが、そう感じていただけたことがとても嬉しくて、これからも、そんな姿勢で木に接していきたいと思います。

hirosaki hikobae(3)
幹吹き枝を大切に守る、弘前公園のお堀の桜

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