成長を許されない木々(県立美術館のケヤキ)

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所用で秋田市まで。
県立美術館の前を通ると、今年もやはり、建物前のケヤキの列植がこのような姿になっていました。

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美術館の2階にはラウンジがありますが、これは、昨年、そこから見た水庭の景色。
このブツ切りのケヤキたちはこの水面下に植えられていますが、ラウンジから見えてはいけない(水面より高くしてはいけない)という設計方針があるため、毎年、水面上に伸びた枝を刈り込んでいるようです。

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こちらは、美術館前のお堀を挟んだ向かいにある、県民会館のケヤキ並木
秋田市の保存樹第一号とのことで、美術館のケヤキも、このケヤキ並木と対になるように植えられているそうです。

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植栽後5年も満たない若木のケヤキにこうした剪定が行われるということは、電線や民家越境、車の通行支障など、空間制限のある街路樹でさえありません。

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上の写真は、一昨年の冬に刈り込まれた姿。
下は、その半年後の夏。
落葉樹をこのように刈り込めば、枝葉が切る前よりも伸長し、度を越えて強く切れば、柳のように枝が下がり、数年は樹形が荒れます。

樹高20mにもなるケヤキを4~5mに抑え続けることの無理、
大きくなる木を植えて大きくさせないことの本末転倒、
そうしたことに経費を掛けて剪定し続けることの無駄、
自身の身体を真夏の高温から守るために茂らせている枝葉を減らしてしまうことの無知、
自然形が美しいケヤキの持ち味を殺し、生垣のように平らに刈り込んで醜い姿にしてし舞う景観意識の欠如

毎年のように刈り込まれるこのケヤキたちの姿からは、そうしたことを感じます。


庭をつくる時、石組みの周りに木や下草をあしらい、石組みが隠れないように低く維持することがありますが、そこに、石よりはるかに大きくなるケヤキを低木として植える庭師はいない。
建築でも、身長が2mある人の家に、身長より低い天井を作る建築士はいない。
庭でも家でも、そんなものを作ったらバカと言われます。
そうした息苦しい場を作ることが芸術で美なら、そんなバカげたものは要らないでしょう。

樹木は空の下に生える生き物で、空の高さは無限。
樹木には、自然状態で木がここまで大きくなるという「成長限界」や「最終樹形」というものがあり、木を植える時はそれを知った上で植えるのが当たり前。
この美術館のケヤキたちは、人間の身勝手な欲によって天井を決められ、空に向かって伸びる自由を奪われている。


水庭上にケヤキを見せたくないのなら、ここに大木となるケヤキを植えるべきではない。
美を展示する場所の正面に、美しく無い姿にされた樹木があることは、「美の国秋田」を掲げる秋田県に相応しいことなのか。

このことは昨年も県の担当課に申し上げ、「水庭とお堀を一つの水面に見せる」とのコンセプトを活かしつつ、フラットな水面ではなく高低差のある「滝」のイメージに変え、滝口の周囲にケヤキを群生させて枝を伸ばす方法を提案していただけに、
(公共建築の植栽設計と管理のあり方に思う(県立美術館のケヤキから)
今年も低く刈り込まれたこのケヤキたちを見て、とても残念に思いました。

秋田県には、ケヤキを移植する提案をしましたが、移植するにも、このまま毎年剪定し続けるにも経費が掛かります。
お金を掛けない一番いい方法は、「水庭とお堀を一つの水面に見せる」というコンセプトをやめること。
向かいの山の景色を見せたいのなら、手前のケヤキの枝を透かして、見通しを利かせればいいのです。

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初めてここのラウンジから景色を眺めた時、水庭から顔を出した美術館のケヤキと、お堀の向こうの大ケヤキが共に水面に映り込み、水の中で新旧のケヤキが一つになっていました。
これがこの水庭のコンセプトだとしたら素晴らしいと、設計者の創造力に感動したものです。

景色を繋ぎ、時代を繋ぐこと。
この美術館前のケヤキたちに、そんなコンセプトを持たせてあげることはできないものでしょうか。

樹木は空の下に生え、空に向かって伸びていくのが自然。
空には無限の高さがあり、美術館の空には何の支障も無い。
あるのは、水庭のコンセプトという、わがままな縛り。
「建築美」という名のもとに、空に伸びる自由を許されないこの木たち。
ケヤキはケヤキらしく。
いつか、向かいの山のケヤキのように、伸び伸びとした姿にさせてあげたいものです。


※この件については、FBでも取り上げ、多くの方々のご意見を伺っています。

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